将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【相掛かり】中央位取り

昭和の中央位取り

「5五の位は天王山」という常識を打ち破った升田幸三


水澄むや 意外に似合う無精髭   よし樹


ヒゲの先生とかヒゲの九段と呼ばれた升田幸三実力制第四代名人。
太平洋戦争では南洋のボナペ島で戦い、餓死と隣り合わせの日常。
「月が通信してくれるなら木村と将棋が指したい」と打倒木村の一念で、あの愚かな戦争を耐え抜き、昭和20年の12月に奇跡的に生還することができた。
蓬髪で軍服姿の復員したばかりの升田幸三を、作家吉川英治は「タケゾウ時代の宮本武蔵」と評し、「鞘のない抜き身の剣」に譬えた。


大事な対局に敗れ、「あんな将棋を負けるんじゃ、将棋指しなんか辞めよう」と絶望して一人歩いていると、通天閣の灯が夜中に煌々と輝いているのに気づいた。「ああ、これが文化だ。文化なんて所詮無駄なもんなんだ。でもその明かりが、届く範囲の人に何かをもたらしている。将棋も同じじゃないか」そう気づいて改めて将棋に打ち込むようになったという。


なお、冒頭の俳句は大正生まれの父(よし樹)のもの。
やはり戦争に狩りだされたが、天の配剤によって生き残り、私を生んでくれた。
平成の終わりに99才で天寿を全うしたが、遺してくれた俳句の中に今でも父は生きている。
ここでいくつか紹介して思い出を留めたい。


夕立を軍靴に駈けし音と聞く    よし樹
五月人形事あらば玻璃割って来よ  よし樹
心子に測られてゐる温め酒     よし樹


升田幸三は、升田式石田流(早石田)に代表されるように振り飛車党の印象が強いが、若い時の相居飛車の巧さはピカ一だった。
終戦直後の昭和21年9月に、升田自身が新大阪新聞に申し入れた結果、41才の木村義雄14世名人相手の「木村・升田五番勝負」が実現した。
木村・升田五番勝負第一局の香落ちに快勝した升田幸三七段(当時)は、第二局を念願の平手(定先)で戦うことになった。


当時の流行戦法は相掛かり。
「5五の位は天王山」とされ、5筋の歩を突き合うのが常識だった。
それを手抜いて位を取らせたのが升田の作戦。
ここで▲4六歩とすれば、新旧対抗相掛かりという戦型だが、升田の構想は違った。


初手からの指し手
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △3四歩
▲1六歩 △1四歩 ▲4八銀 △6二銀 ▲6九玉 △4一玉
▲5八金 △5四歩 ▲7六歩 △5五歩 ▲7七角 △4二銀

後手の木村義雄名人の中央位取り居飛車に対し、升田はセンスある駒組みを見せる。
升田は飛車先の歩交換を重く見ていて▲7七角と防いだが、角が目標になるので一長一短。
現代感覚では違和感があるが、将来の角の転換も望めるので悪くないと思う。


図からの指し手
▲3六歩 △5三銀右 ▲3七銀 △5四銀 ▲4六銀 

図からの指し手
△5二飛 ▲3五歩 △4四角 ▲6八銀 △5一金 ▲3六飛
△3五歩 ▲同 銀 △4五銀 ▲3八飛 △6二角 ▲4六歩
△5四銀 ▲3四銀


5筋と3筋を睨んだ▲4六銀が好位置。
何なら先に▲3五歩の突き捨てを入れても良かった。
対して△6五銀も有力だったが、5五の歩が浮くのを嫌って実戦は△5二飛と守った。
しかし、いかにも利かされ。
△6五銀に▲5五銀は△7六銀が角取りになるので▲5五角だろうが、△同角▲同銀△2二角と浮いた銀を狙って互角の戦いだ。


△5二飛に対して、先手は次に△4四歩~△4五歩と銀を追わるため▲3五歩と仕掛け、△4四角に▲6八銀と中央に備え、△5一金に▲3六飛と圧力を加える。
△5一金のところで△3五歩と取るのは、▲5六歩が用意の一手。
同歩には角交換して▲8三角がある。
また、△6五銀とその筋に備えても▲5六歩が成立する。
△同銀には▲6六歩として銀挟みがあるのだ。
中央に備えたにもかかわらず、▲5六歩の仕掛けが成立するのでは、△5二飛は問題だった。
このように升田は、序盤のセンスでは、時の名人を圧倒していた。


▲3六飛に堪らず△3五歩と取ったが、△6五銀と攻め合って棒銀を捌かせない方が良かったか?
▲3四歩△7六銀▲6六角(▲8八角は△8六歩▲同歩△8七歩▲6六角△6五銀▲7七角△7六銀から千日手)ここで△8二飛は▲7七銀で受かるが、△5六歩と角交換を挑んでどうか?
▲4四角△同歩▲5六歩?などとすれば、△8七銀成が炸裂。
▲5六歩の代わりに▲2六飛くらいだが、△4五歩▲3五銀△5七歩成▲同銀△同飛成▲同金△4八角▲5六飛△6五銀という狙いがある。


△3五歩▲同銀△4五銀▲3八飛に△3五角▲同飛△3六銀と飛車を捕獲する筋があるが、▲1八角△3四歩▲3六角△3五歩▲4五角で先手良し。

図からの指し手
△7四歩 ▲2八飛 △3三銀 ▲2三銀成 △2六歩 ▲2四歩 
△4二金上 ▲5六歩 △3五角 


しかし、図の▲3四銀は手が滑った。
▲6六歩と△6五銀を防いでおけば優勢だったが、▲3四銀としたため△3三歩▲2五銀から△6五銀と攻められると棒銀失敗となるところだった。
ところが、木村名人が△7四歩としたため、▲2八飛となって棒銀成功。

木村名人の△3五角は、△4六角と同時に△2四銀と拠点を払おうとしたものだが、反って目標になった。
▲5五歩△6五銀▲5四歩となった時に△同飛と取ると、金を取って▲4五金の両取りがある。
ここではとにかく△7三桂と活用するか、△3四銀と清算を促すくらいが良かった。


図からの指し手
▲5五歩 △6五銀 ▲5四歩 △同 銀 ▲3四歩 △4四銀 
▲4七金 △7五歩 ▲3六金 △7六歩 ▲9五角 △9四歩 
▲8四角 △8二飛

ここからの収束が見事。


図からの指し手
▲3二成銀 △同 金 ▲5一金 △4二玉 ▲3五金 △同 銀
▲5三歩 △3一玉 ▲5二歩成 △8四飛 ▲5三角 △2二玉
▲3五角成
まで79手で先手の勝ち


升田が平手で名人を破った反響は大きく、名人の権威を傷つけてはいけないと五番勝負を中止する声すら上がった。
すったもんだ(ゴタゴタ)の末、12月に奈良市の武蔵野料亭で第三局が行われた。
その将棋も相掛かりになり、木村名人の棒銀に対し、升田が3・1筋の歩を突き捨て、▲2四歩の合わせから飛車を軽快に捌いて優位に立つ。
そこから升田が間違えて不利になるが、相手の落手を引き出して逆転勝ちを収め、五番勝負は升田のストレート勝ちとなった。

 私は、この五番勝負に3-0のストレート勝ちを演じ、関西棋界のために万丈の気を吐いた。

 名人は投了後「君とやると、どうも見落としをする。闘志に押されるんかなあ」と、珍しく弱音をもらしていた。



岸壁に凍(し)み藻貼りつく干潮(ひしお)かな  よし樹
枝折戸(しおりど)を叩いて過ぎし走り梅雨    よし樹
口笛の軍歌奪へり大南風(おおみなみ)      よし樹
杭打って出店決(さだ)まる祭りかな       よし樹



平成の中央位取り


異色の棋士 田丸昇

その後、力戦を好む個性派棋士がこの中央位取りを用いた。
特に好んだのが田丸昇九段だ。
弟子に櫛田陽一(引退棋士)、井出隼平、小高佐季子女流がいる。
下図は、平成2年対局の対先崎戦(NHK杯)。
先手の先崎九段は、▲6六銀と位取りに圧力をかけ、次に▲5六歩からの位の奪還を図った。
▲6六銀では大人しく▲6六歩として、堅い矢倉囲いを目指す指し方もあった。

ここで飛車をどこに引くか?
実戦は△8二飛だが、△8四飛と浮き飛車にするのも面白かった。 
この時代は、「位を取ったら位の確保」という視点に囚われていて、△8二飛と引いて、後に△5二飛と位を守ろうとする将棋が多かった。

▲5六歩に対して△7五歩▲同歩△7三桂と右桂を活用し、▲5五歩に△6五銀とぶつける。
放置すれば△7六銀があるが、▲6五同銀△同桂とすると次に△5七桂不成と△7六銀の狙いが残る。
図で▲7七銀と引くのでは、△5五角として後手が威張っている。
このように5筋の位はあくまでも餌(エサ)と思って指すのが令和の感覚。


次に対橋本戦(順位戦)を取り上げる。


受けの橋本崇載 対 攻めの田丸昇

初手からの指し手
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3二金 ▲2八飛 △2三歩
▲4八銀 △6二銀 ▲7八金 △5三銀 ▲6八銀 △5四銀
▲6九玉 △4一玉 ▲5八金 △4二銀 ▲3六歩 △8四歩
▲3七銀 △8五歩 ▲7七銀 

田丸九段は今度は△5四銀型に組んだ。


図からの指し手
△5二飛 ▲3五歩 △同 歩
▲4六銀 △4四角 ▲6八銀 △5一金 ▲3八飛 △3三銀
▲3五銀 △5三角 ▲4六銀 △8六歩 ▲同 歩 △同 角
▲5六歩 △8七歩 ▲7七角 △6四角 ▲8七金 △5六歩
▲7八玉 △7四歩 ▲2二歩 △同 銀 ▲5五歩 △同 銀
▲同 銀 △同 角 ▲同 角 △同 飛 ▲4六角 △2五飛
▲2八歩 △4九銀 ▲4八飛 △5八銀成 ▲同 飛 △3三銀
▲9一角成 △8六歩 ▲同 金 △8八歩 ▲3七桂 △2四飛
▲4六馬 △8九歩成 ▲5五香 △6一金 ▲4五桂 △3一玉
▲5三香成 △9四桂 ▲8五金 △8八と ▲6九玉 △7八金
▲5九玉 △6八金 ▲同 飛 △7七角 ▲3三桂成 △同 桂
▲9四金 

先手が桂馬を入手した局面。
果たして後手玉は詰むか否か?
▲4二銀からバラして▲5三銀△同玉▲6五桂と打つが、△4二玉と逃げて金銀三枚なので一枚足りない。
そこで△5七銀と打って勝ちかと言えば、簡単ではない。
上記の順から▲5七馬(下図)と質駒を補充できる。

これで後手玉に詰めろがかかって先手勝ちのようだが、△6八角成▲同馬△4八銀から長手数の詰みがある。
結論を言えば、△5七銀と打てば後手勝ち。


実戦は、焦った田丸九段が詰まそうと王手ラッシュ。
結果、手が届きかけていた勝ちを手放してしまった。 


図からの指し手
△6八角成 ▲同 馬 △3九飛 ▲4九銀 △4八銀
▲同 玉 △2八飛成 ▲3八銀打 △3六桂 ▲5九玉 △4九飛成
▲同 銀 △6八龍 ▲同 玉 △8六角 ▲7七角 △5七銀
▲6九玉 △5三角 ▲8二飛 △6八香 ▲同 角 △同銀成
▲同 玉 △8六角打 ▲7七銀 △9四歩 ▲2二銀 △4一玉
▲3二飛成 △同 玉 ▲3三銀不成 △4一玉 ▲4二銀打 △同 角
▲3二金 △5二玉 ▲4二金 △6二玉 ▲9二飛 △7二飛
▲8四角
まで133手で先手の勝ち


深浦康市の鎖鎌銀 対 野田敬三のcounter狙いの浮き飛車

平成5年の銀河戦で、実力者深浦康市相手に力戦派の野田敬三が中央位取りを用いた。
野田敬三七段は、引退棋士で長谷川優貴女流と山根ことみ女流を弟子に持つ。


初手からの指し手
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3二金 ▲2八飛 △2三歩
▲4八銀 △6二銀 ▲6八銀 △5三銀 ▲7八金 △8四歩
▲6九玉 △8五歩 ▲7七銀 △4二銀上 ▲4六歩 △6四銀
▲4七銀 △4一玉 ▲3六銀 

深浦九段の戦略は、鎖鎌銀を見せて△3三銀と角道を止めさせ、弱体化した5五の位を狙おうというもの。


図からの指し手
△5二金 ▲5八金 △3三銀
▲9六歩 △3一角 ▲4五歩 △7四歩 ▲6六銀 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛 ▲2五銀 △4二角

図からの指し手
▲5五銀 △6五銀 ▲2二歩 △7六銀 ▲6六角 


▲5五銀から▲2二歩となれば、△同銀なら▲4四歩から攻めが続くし、△2二同金なら場合によっては▲3四銀!から▲5四銀というワザがかかる。
しかし、野田七段の戦略は深浦九段を上回っていた。
5五の位を囮に飛車先突破を図ったのだ。
▲5五銀~▲2二歩を手抜きで△6五銀~△7六銀とすり寄ったのが、ソフト評価でも最善の手順で、後手有利。

図からの指し手
△7五角 ▲同 角 △同 歩 ▲9五角 △8二飛 ▲2一歩成 
△8七銀成

図からの指し手
▲8六歩 △7八成銀 ▲同 玉 △9四歩 ▲7四桂 △9二飛
▲8四角 △8三金 ▲7五角 △7四金 ▲8三銀 △7五金
▲9二銀不成 

図の局面で先手の狙いは▲7一飛の王手銀取り。
しかし、後手からも△7七歩や△3九角など厳しい狙いがある。


図からの想定手順
△7七歩 ▲同 桂 △3九角 ▲3八飛 △4九角 ▲7一飛
△5一歩 ▲3九飛 △5八角成 ▲7五飛成 △9二香 ▲6五桂
△5七馬 ▲7二龍 △7五桂(図)

▲5三桂や▲3一金という王手があって後手玉も危険だが、詰みはない。
▲3一金からバラして▲5三角~▲7五角成と桂を外すくらいだが、△6八金▲8八玉△8七歩から先手玉が寄ってしまう。


実戦は、銀取りに△7三角と先手で王手飛車を防いだが、疑問手だった。
△7七歩▲同桂△9二香や△3九角▲3八飛△4九角と攻めた方が良かった。

図から▲9一銀成と香を取っておけば△5五角には▲5六香があって難解な形勢だった。
実戦は、▲7一飛と王手を利かせてから▲5六歩と受けたため、△9二香と手駒を補充してから△7七歩と王手され、先手玉が寄ってしまった。
△7三角がやや疑問だったものの野田敬三七段の傑作。


図からの指し手
△7三角 ▲7一飛 △5一歩 ▲5六歩 △9二香 ▲8一飛成 
△7七歩 ▲6九玉 △4六桂 ▲9二龍 △3九角 ▲1八飛 
△5八桂成 ▲同 玉 △2七銀 ▲4八飛 △5五角 ▲同 歩 
△4八角成 ▲同 玉 △2八飛 ▲5七玉 △6八銀
まで90手で後手の勝ち




令和の中央位取り

梅雨夕焼 明日を占う旅鞄   よし樹
ぎやまんの風鈴の鳴るここ出島 よし樹

後手は、ゴキゲン中飛車模様から飛車先を伸ばして居飛車で戦う田丸流。
対して先手は升田流の▲4六銀に組むのが好形で、後手が無理に△4四銀などと対抗しても、▲2六角型から▲3五歩と仕掛けて作戦勝ちになる。
「5五の歩は餌」(近藤正和)と、守らないのが後手の作戦。


上図の△8五歩に▲7七角はやむを得ないが、後手はこれを狙って右桂を活用する。
先手は、万全の体制から▲5五銀と歩得したが・・・

▲5五銀で▲3五歩△同歩▲同銀は、△6五桂▲6六角△5六歩で危険。
しかし▲5五銀にも△8六歩▲同歩△同飛があった。
▲8七銀△8一飛▲8六歩と局面を収めようとするが、△8五歩▲同歩△同桂と止まらない。
▲8八角には、△8六歩▲同銀△9七桂成▲同銀△8八飛成
▲6六角には、△8六歩▲同銀△9七桂不成で、▲8二歩から連打しても全て△同飛と取られて無効。



先手が▲7七角と守らなかった場合、後手は飛車先交換から横歩を取る。

後手陣は、飛車の打ち込みに強いのが自慢。
図から△7四飛▲3五飛△3八歩で後手ペースの戦い。


たをやかに 箸にあらがう冷奴    よし樹
積むほどに 夏座布団のずり落ちる  よし樹


俳句

現代社会では、発する言葉が誤解・曲解されることが多い。
どんな言葉も切り取られてしまうと、本人の意図とは真反対のところへ行ってしまう。
SNS全盛の現代では言葉が軽すぎるのだ。
私も反省しなければいけない。


誤解されないように言葉を選ぶことを学べるのが、俳句の利点のひとつ。
5.7.5という短い詩形だけに言葉の選択に気を遣う。
「プレバト」というテレビ番組では、首をひねるような句が、夏井いつきさんの添削によって情景のはっきりした句に生まれ変わる。
見事としか言いようがない。


半面、言葉だけでは意味不明だが、何となく分かったような気にさせる不思議な名句がある。


海に出て木枯らし帰るところなし 山口誓子


「木枯らし」という季語から何となく悲しげな、哀しげな感情が伝わる。
「帰るところなし」という言葉もそうだ。
現象としては、広い海に出て開放的な気持ちになってもよさそうなのに、なぜこの句はこんなに哀切なのか?


実は、作者は特攻隊のことを思って詠んだのだった。
曖昧な表現の中に作者の心情が込められた名句だ。


夏の河赤き鉄鎖のはし浸る  山口誓子
突き抜けて天上の紺曼珠沙華 山口誓子


学校で国語の先生をしていた夏井いつきさんは、実は短歌の方が好きだった。
しかし下の7・7の中にどうしても自分が前面に出てしまうということで、律して俳句の道を選んだのだった。
子規の「客観写生」という理論によって生まれ変わった近代俳句だが、実は徹底的に主観を排しようとすることによって、逆に主観を浮かび上がらせる、現象学哲学の「エポケー」のような働きがある。


事情があって学校を辞めることになった時、自分の選択を何とか肯定するため「これから俳人になる。」と宣言し、その言葉を実現させた。
見事な人生としか言いようがない。
その背景には、正岡子規をはじめ多くの俳人を輩出した伊予の国の風土があるのだろう。