将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【読書ノート】経済

『その時歴史が動いた』~エコノミスト下村治


 宏池会の生みの親である池田勇人元首相については、伊藤昌哉氏の著書等で知り、「地位が人を作った」魅力的な人物として認識していたが、ブレーンであった下村氏については名前以外はほとんど何も知らなかった。(ただ、「所得倍増計画」を「物価倍増計画」と非難していた中学校時代の名物教師=故人となったが=を思い出した。)
下村氏の経済理論は、戦後、闇市の価格調査をした経験から得られたもの。行政から見た経済でなく「下からの」経済という立場。池田首相(そして後の大平首相に至るまで)は彼に全幅の信頼を置いた。
  
<下村語録その1>
 日本経済の弱さばかりいいつのる人を見ていると
 アンデルセンの醜いアヒルの子を思い出す。
 実際は美しい白鳥となる可能性を備えているにもかかわらず


 逆に今日の日本経済の脆弱さ(個人消費や消費者物価等で判断すると)をみると、自分を白鳥と勘違いしているアヒルといった感がある。団塊世代が大量退職を迎えている中、「年金制度の安定」と「60歳定年制の見直し」が急務だ。


<下村語録その2>
 欧米からの技術革新も今後は期待できず、来るべき低成長時代日本は何を目指すべきかという問いに対して


 日本は江戸時代のような姿になるのがいい。
 文化とか芸術とか教養に力を入れる時代になるべきだ。



 結局、文化とは何かということになるのだが、ソフトとハードで分けて考えると、江戸時代の文化は民衆文化で、ソフト面が非常に優れていた。
 今日の所謂文化とは何かというと、行政主体の、いわば上からの「まちづくり」。ハード主体で、ハコモノ作りを文化と勘違いしていた(今は流石に少なくなったが)。甚だしいのは上からの「○○祭り」等のイベント。何のためにやるのか理念がないまま、無駄に金を遣っているといった感じのものが多い。所詮オシツケでは何も実らない。地方祭での神輿の鉢合わせの方が活気があって遥かに面白い。たまに死傷者がでるのは困りものだが。
 余談だが、私の住む松山市で「坂の上の雲のまちづくり」をスローガンに掲げていた。しかし残念なことに一部担当部署を除き、市職員のほとんどに当事者意識がない。各々の仕事の中でどうすれば「坂の上の雲のまちづくり」に相応しい行政ができるか、アイデアを持ち寄る、あるいはそれを吸い上げる、そんな組織づくりが望ましい。点と点を繋いでいるだけでは駄目、市民皆が「坂の上の雲」を読んでみよう、そう思わせるような施策を期待したい。



<下村語録その3>
 お金がお金を生むということは
 もともとあり得ない
 マネーゲームからは何も生まれない
 膨れたものはいつか破裂する


 もし、お金がお金を生むということあり得ないなら、何がお金を生むのか?シェーラーの『価値の転倒』を見るまでもなく本来お金というのは交換するためのもの(手段)であり、実質的な価値を持つのは、「人」であり、「資源」である。
 以前、ある著名な経営者がこんなことをいった。
「みんな経営で成功するのは大変なことだという。たしかに技術の問題や販路の問題、役所対策など大変なことは多いが、肝心の組織拡大については少しも大変じゃなかった。人を大事にすればそれでよかった。ほとんどの経営者が人より金を大事にするから、そんな方が大勢いる限り安心して拡大できた」と。
 しかし反面、私はお金がお金を生むということは十分あると思う。今日のグローバリズムの拡大と交換価値としてのお金の性質上。お金っていうのは所詮そういうものでしかないといったらニュアンスを汲み取っていただけるでしょうか。経済活動というのを、酒樽の前でお金のやりとりをして酒を交互に飲んでいる落語の熊さんと八つぁんに例えたのは養老孟さんだったっけ。


下村 治(1910年~1989年)
明治43年佐賀市に生まれ、東大経済学部を卒業後、大蔵省に入省。アメリカ在勤後、日銀政策委員等を歴任。退任後はエコノミストとして活躍した。第一次石油ショック後は、成長の条件が無くなったとして、ゼロ成長論を一貫して唱えた。


<座右の銘> 思い邪(よこしま)なし


http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/20000208.html
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070215/119113/


柿埜真吾『ミルトン・フリードマンの日本経済論』

ミルトン・フリードマンといえば「市場原理」主義者だが、元政府税調会長の
香西泰氏が市場原理についてずっと以前に書いていた文がある。 

 「資本主義は、権力による経済支配を脱し市場原理を拡大していく歴史でもあった。二十世紀には共産主義による計画経済、産業国有化など様々な実験があった。だが長い目で見れば、政治家や官僚などエリートが配分する領域をできるだけ小さくした方が社会にとっても良いということが分かってきた」


「市場原理は社会を構築する普通の人々に資源配分や意思決定をゆだねる。怠惰な人もいれば勤勉な人もいるこの社会で、普通の人々の力を最大限引き出そうとする点では、草の根の力を高く評価する枠組みだ」


「日々の仕事や生活で『市場は冷たい』と感じる人もいるのだろうが、だからといって、市場にかわる全知全能の神がいるわけではない」


「英首相だったチャーチルは『民主主義は最悪の政治形態である。他のあらゆる政治形態を除けば』と言った。市場原理もこれと似ている。経済システムとしてベストではないかもしれないが、公正と効率を両立させるためのセカンドベストという考え方に同意する」

 時代を感じる。
 2006年死亡した自由主義経済の泰斗、Mフリードマン氏は「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」という逆説を唱えた。高関税による保護主義がとれなかったがゆえに、比較優位の高い繊維産業などへの資本集積が進み、経済の近代化が加速したという見方だ。
 戦後の資本自由化でも多くの企業が危機感をバネに飛躍した。豊田英二・トヨタ自動車工業社長(当時)は1970年の年頭の辞で「総力を結集して自由化に処し、国際競争で勝利を収める覚悟」と述べている。陰に陽に保護され続けた農業や金融業が、国際競争力を持ち得なかったとは対照的である。