将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【読書ノート】将棋随筆

河口俊彦『大山康晴の晩節』


史上最強の棋士は誰だろう?という問いに対して、必ず名前があがるのが大山康晴15世名人。


大山の強さは特に逆風のときに発揮された。
この一番でタイトルを失うかも知れないとき、この一番でA級から陥落するかも知れないとき・・・そんなカド番を幾度となく凌いできた。
まさに超人である。


大山が強くなったのは、自分が嫌われているのを知ってから・・・ 


20代のとき、人生の岐路にさしかかる。
出征が決まった大山は、将棋連盟に特別対局を申し込んで受け入れられる。
何番かの勝負をして、それに勝てば昇段という約束だ。
当時すでに大山の棋力は郡を抜いていた。
また、相手もお国のために命を捨てる覚悟の人間を力を入れて負かしにいくことも考えにくい。
しかし、その勝負に大山は敗れた。
著者の想像だが、相手はおそらく緩める振りをしてきたのだろう。
それにひっかかった大山は甘い手を指して敗れた。
まさかの出来事だったが、大山としても誰をとがめるわけにもいかない。 


・・・生還した大山は勝負の鬼となる。



河口俊彦『一局の将棋一回の人生』『勝ち将棋鬼のごとし』


かつて将棋界の人気を二分した大山と升田。 
対戦成績は大山が升田を圧倒していた。 
しかし世間は、実力は升田の方が上、ただ体力不足からポカが出て負けているだけ、と見ていた。 
判官びいきとはこのことである。 
升田は将棋の鬼、大山は勝負の鬼と呼ぶ人もいた。 


確かに升田の新手には天才の着想として人の目を奪う魅力があった。対して大山は「平凡は妙手に勝る」として地味な手が多かった。


升田が三冠王の頃、両者の対局でこういうことがあった。
升田が勝った後「将棋はここで終わり、あとは研究しても無駄」とタニマチに誘われて夜の街へ出て行った。残された記録係は、颯爽と立ち去った升田に憧れをいだきながら、大山が「研究しても無駄」といわれた局面からまだ指し手を検討しているのを退屈そうに見ていた。
しばらくして、世は大山時代。大山は、当時あった五冠のタイトルを独占しながら、「大事なのは如何に長く強さを維持できるか」と記録に挑んでいた。
当時の記録係であった河口俊彦はその後やっと気づいた。真実は、あの時結論を急がず、一見どうでもいいような手を研究していた大山の姿にあったのだと。もっと早くそれに気づいていれば、自分ももっとましな将棋指しになっただろうにと。



2007年の名人戦の風景を見て、私は先の話を思い出した。


森内勝ちの第四局、局後の感想戦。
「まあ基本的に(こちらが)ダメですよ」の挑戦者郷田の言葉に対し、森内名人は「まだ大変」。両者の見解が真っ二つに割れて結論が出ない。
立会人・高橋九段の「先手(森内名人)は優勢だから、色々と心配になるんだよね。(優勢なほうと不利なほうでは)景色が違いますから」という言葉でお開きとなった。
控室には観戦記事を書くために、副立会人・北浜七段、観戦記者、ネット中継班が残った。


宴たけなわ、敗れた郷田は酒と会話を楽しんで上機嫌である。しかし勝った森内名人の姿が宴会場に見えない。
名人は「まだまだ難しいところがある」と控室に戻って感想戦を続けていた。
なかなか結論が出ず、三時間に及ぶ検討の末、先手に有力手段が発見され「やはり先手勝ち」となった。


将棋ファンならすでにご存知のように、フルセットまでもつれこんだ第七局の結果、森内名人が防衛。
名人位通算五期となったため、羽生三冠を抜いて一足早く「第18世永世名人」を獲得した。
勝敗を分けたのは第四局の感想戦、といえば言い過ぎだろうか。


※参考:『将棋世界』7月号、上地隆蔵「ズレていた認識」