将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【相掛かり盛衰記】▲3七桂型~腰掛け銀は終わった?

狙いの▲3三歩 塚田vs及川

まず相掛かり▲3七桂型の基本的な狙いから
さりげなく▲1六歩と△1四歩を交換するのがポイント。
▲2四飛と走った時の△1五角を消しながら将来の端攻めを目論んでいる。

先手の塚田泰明九段は、△4四角のラインと横歩取りを防ぐため、▲3五歩と突き捨てて▲3七桂と跳ねた。
相掛かりの場合、この突き捨ては指し過ぎにならない。

△6三銀と上がったが、△8二飛▲8七歩△6三銀なら安全。
図から▲1五歩△同歩▲3三歩が狙いの仕掛け。
後手は、△3三同桂には▲1五香~▲3四歩があるので△3三同角だが、▲4五桂△8八角成▲同銀となって▲5三桂成の狙いと▲7七角の二つの狙いがある。
△4四角▲7七角△同桂成と▲7七角の狙いを消してから△5二銀として、後手はギリギリ受かっていると見ている。

▲6八玉では、すぐに▲2四歩△同歩▲7五角△8二飛▲2四飛△2三歩▲6四飛△5五角▲3四飛もあるが、本譜のように△8二飛とさせておいた方がアヤがある。


図からの指し手
△8二飛 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2二歩 ▲6四飛 
△5五角 ▲8三歩 △同 飛 ▲8四歩 △8二飛 ▲6五飛 
△1九角成 ▲8五飛 


初期の相掛かり

5五のクライは天王山

江戸時代、大橋宗英9世名人の「平手相懸定跡集」に下図のような駒組みがある。
先手の玉形は、後に「中原囲い」と呼ばれる。

「5五のクライは天王山」という考えが支配的だった江戸時代の相掛かり戦法は、図のように5筋を突き合う形が常識だった。
相掛かりは、明治・大正を経て終戦の昭和20年代まで大流行した。

「腰掛け銀」の登場

終戦後、4筋を突いて腰掛け銀にする新型が現れ、下図のような「新旧対抗相掛かり」が流行した。

図の局面から▲3五歩△同歩▲4五歩△3三銀▲5六歩と攻められると後手は厳しい。
その後、5五のクライを取ると狙われるため、後手は雁木に組む工夫をみせた。
この形は、先手の蟹囲いと合わせ、加藤治郎によって「蟹雁戦」と名付けられた。
しかし、旧型は分が悪く、そのうちにお互い腰掛け銀を目指すようになった。
腰掛け銀は、相掛かりだけではなく角換わりでも用いられ、流行戦法となった。
相掛かり腰掛け銀は「飛車先交換型腰掛け銀」、角換わり腰掛け銀は「飛車不換型腰掛け銀」と呼ばれ、他に戦法はないのか?というくらいの勢いだった。
飛車の位置も浮き飛車と引き飛車が試行錯誤され、浮き飛車を咎めた「駅馬車定跡」は、「新手一生」升田幸三の代表作である。
ちなみに升田幸三が振り飛車を指すようになるのは、身体が衰えてからで、居飛車に名局が多い。


その後、相腰掛け銀から5六銀と5四銀がぶつかって戦いになる「ガッチャン銀戦法」が流行した。

しかし、後手に図のように組まれると▲3五歩△同歩▲4五銀△同銀▲同桂は△7五歩で失敗。ガッチャン銀は封じられた。
「自在流」内藤國雄九段は、▲1五歩△同歩▲3五歩△同歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩に▲2二角成△同銀▲5四飛△同歩▲6四角と仕掛けを工夫して成功したが、△2三歩のところ先に△8八角成▲同銀△2三歩と受けれらると無理攻め。
仕方なく図から▲4八金と手待ちするが、△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8四飛と一人千日手で待たれると打開が難しかった。


「相腰掛け銀は、後手不満なし」(中座真著『相掛かりの新常識』)と言われる現代でも、「ガッチャン銀戦法」は生きている。
下図は、佐々木大地vs本田奎(棋王戦挑戦者決定戦第二局)。
勝った方が、タイトル初挑戦という大きな勝負は両者得意の相掛かりに。
相引き飛車が現代調だ。

図からの指し手
△6五銀 ▲同 銀 △同 歩 ▲2二角成 △同 銀 ▲8八銀 
△3三銀 ▲7七銀 △3一玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲7九玉 
△1四歩 ▲1六歩 △4四歩 ▲2六飛 △6六歩 ▲同 銀 
△3八角 


△6五銀▲同銀△同歩とガッチャン銀で銀を手持ちにすれば、▲2五銀は△8四飛と飛車の横利きで受かるが、▲3六歩を突いているため△8五銀は受けにくい。
そこで角交換したが、手が詰まり▲2六飛とした隙に△6六歩▲同銀△3八角と打ち込まれた。
このガッチャン銀からの角打ちの筋は、将棋世界(平成10年4月号)の付録『新・相掛かり▲3八銀戦法』(佐藤紳哉四段)に出てくる。

図の局面から▲4五銀△同銀▲同歩とし、①△6五歩なら▲7五歩で、次の▲7四歩△同歩▲7二歩を狙う。そこで②△8八角成▲同銀△2二銀だが、この時▲4四歩△同歩▲7二角
の筋がある。
この付録については後で詳述するので、ご記憶いただきたい。

王座戦で同じ二人の対決があり、意地の相腰掛け銀になった。佐々木大地も今度は、前局を反省して▲3六歩を保留している。
図の局面で用意の一手を放つ。

図からの指し手
▲7七角 △同角成 ▲同 桂 △4二銀 ▲8八銀 △4四歩 
▲6八玉 △4三銀上 ▲8六歩 △7四歩 ▲8七銀 △6二金 
▲5八金 △4二玉 ▲7九玉 △7三桂 ▲6六歩 △9四歩 
▲6七金右 △8一飛 (図)

中原誠による相掛かり革命

中原誠の▲3七桂

その後、「自然流」中原16世名人が独自の作戦で相掛かり戦法に参戦、相掛かりは腰掛け銀という常識を覆した。
昭和57年、第40期名人戦、矢倉を得意としていた中原誠名人に、当時の新戦法「矢倉3七銀戦法」をひっさげて「重戦車」加藤一二三が挑戦した。
そして伝説の10番勝負、相矢倉の死闘の末、中原誠は名人位を奪われた。


この敗戦が中原誠を変えた。
名人失冠した中原16世名人は、相掛かりと横歩取りで独自の中原流を打ち出す。
相掛かりでは常識とされていた腰掛け銀を脱し、▲3八銀~▲3七桂からの速攻を目指した。
これは、「アルファゼロ」などAIの得意とする形だ。
まだAIの無い時代に今日と同じ感覚の将棋を指したのは、さすが16世名人だ。

図は、中原誠vs「さわやか流」米長邦雄のライバル対決。
図から狙いの▲3三歩を放つ。
△3三同桂▲同桂成に△3三同角は、▲3四桂△5二玉▲3三角成△同金に▲6六角が飛車金両取りがある。
そこで米長は△3三同金としたが、▲3四桂△同金▲2二角成△同銀▲6六角で中原が攻め倒した。



名人復位

名人失冠から2年後の昭和60年、中原誠は新型相掛かりを武器に「光速流」谷川浩司名人(当時)に挑んだ。


初手からの指し手
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △7二銀
▲3八銀 △6四歩 ▲7六歩 △3四歩 ▲1六歩 △4二玉
▲1五歩 △9四歩 ▲9六歩 △6三銀 ▲6八玉 △5二金
▲3六歩 △5四銀 ▲3七桂 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲3五歩 △同 歩 ▲1四歩 △同 歩 ▲1三歩 △同 香
▲2五桂

上図は、昭和60年5月に行われた第43期名人戦第4局。
谷川浩司名人相手に端攻めだけで優位に立った。
ちなみに図の▲2五桂では▲1二歩もAIの評価値が高い。
この将棋は谷川に逆転負けを喫したが、最終局は相掛かり3七桂戦法で快勝。
名人復位を果たした。
なお、その年の12月に15歳の羽生善治四段が誕生する。


塚田スペシャル

昭和の終わりから平成にかけて、中原誠・米長邦雄・加藤一二三といったベテランに、若手の谷川浩司が覇を争った時代、昭和55年にプロ入りした高橋道雄、中村修、泉正樹、依田有司、島朗、南芳一、塚田泰明、神谷広志など「55年組」と呼ばれる若手達が台頭してくる。


昭和61年、55年組の「昇天流」塚田泰明が公式戦22連勝の記録を打ち立てる。
翌年、同じ55年組の神谷広志が「飛車先不突き矢倉」を武器に28連勝して記録を塗り替えるが、現在でも22連勝という数字は、藤井聡太の29連勝を筆頭に、丸山忠久の24連勝に次ぐ歴代4番目の記録だ(他に羽生善治、山崎隆之)。
その原動力となったのが相掛かり塚田スペシャル。
桂馬の活用すら省き、6四の歩を狙って歩を合わせていくという過激な戦法だ。
当時、「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と言われた。

平成3年2月のA級順位戦、塚田vs谷川で塚田スペシャル対策の決定版が出た。
図の局面から▲6一飛成△同銀▲8八銀に△8二飛の自陣飛車が好手。
塚田スペシャルは消えた。
しかし、「矢倉は将棋の純文学(米長邦雄)」と言われた時代に、相掛かりにスポットライトを当てた価値ある戦法だった。


脱線:復活の腰掛け銀

昭和初期まで主流だった相掛かりは、角換わり・矢倉の流行、さらに振り飛車ブームで次第に片隅に追いやられた。
ところがAIの活用が常識となった令和になって、トップ棋士がこぞって相掛かりを指すようになった。
何しろspeedyで面白いのだ。


しかし、かつての相掛かりとは異なり、隆盛を誇った腰掛け銀は廃れ、銀将でなく桂馬が主役のアルファゼロ流の▲3七桂が現代相掛かりの主流。
持久戦になっても腰掛け銀より、▲5六歩と突いた下図のような陣形が、現代相掛かりの理想形・・・とつい最近まで思っていた。


ところが令和の天才藤井二冠が腰掛け銀の再評価を行った。
竜王戦ランキング戦では広瀬八段相手に先手番で腰掛け銀を目指し、相手の角交換に乗じて下図から銀冠に組み、陣形勝ちから強敵を圧倒した。
過去の戦法と思われた「腰掛け銀」は、有力な「アルファゼロ流」対策なのだ。

テーマと外れるのでここでは詳しく触れないが、実戦は銀冠を許して作戦負けになったので、この歩を取った方が良かったかも知れない。
以下▲7五歩△同歩(△8四飛は▲9五角△9四飛▲8四歩で悪い)▲7四歩に△8一飛と桂損を甘受して互角の形勢。
実戦は△6四歩▲8七銀と進み、そこで△3三角▲6六角△8一飛という進行も考えられた。

図の▲4五桂が絶品で、次に▲1六角を狙っている。
ここからは、いつもの藤井曲線を描いて勝利。
どこかで相掛かりは藤井聡太の苦手戦法と書いたが、今や他の棋士の一歩前を走っている。
衝撃的な将棋だったのでここに取り上げた。




【将棋解説】藤井聡太のエグい構想力!藤井聡太二冠vs広瀬章人八段 竜王戦2組 2021/2/18
その後、第62期王位戦第1局では、浮き飛車から腰掛け銀を目指したが、豊島竜王に速攻されて腰掛け銀に組めなかった。
しかし、対斎藤明日斗(棋王戦)では引き飛車相腰掛け銀から▲9七角の新手で快勝した。
「相腰掛け銀は、後手不満なし」(中座真著『相掛かりの新常識』)は、古い常識なのか。

後手は銀の動きと金の動きで手損だが、先手も9七の角は不安定なのでいずれ▲8八角と戻す形。4五の銀も同様だ。
後手の32手目△2四歩が悪手で、▲3六銀が機敏だった。
後手が△3二銀としてから△2四歩なら問題ないようだが、先手は雁木に組んだ後、▲7九角と引いて2四の地点を狙っていく。
下図のような展開になると、自玉近くで戦いになる後手が不満だろう。

後手としては、6四の歩を取らせる作戦もある。
広瀬八段が試みたが、結果は負け。


平成の相掛かり~浮き飛車から引き飛車へ

昭和の相掛かりは、ヒネリ飛車が有力と思われていた時代背景もあり、浮き飛車全盛だった。
気合を重んじる升田幸三や米長邦雄などは、先後問わず浮き飛車一本。
序盤は不利になっても、終盤からが本当の勝負という時代だった。


平成2年に棋聖位を中原から奪取し、藤井聡太が登場するまで最年少タイトル獲得の記録を保持していた「忍者流」屋敷伸之。
彼の得意とする相掛かりも浮き飛車だった。


しかし、研究熱心な若手によって次第に引き飛車が見直されるようになった。
後手番では、55年組の「受ける青春」中村修九段が、引き飛車から角道を止めての持久戦を得意とし、中原三冠から王将位を奪った。


平成5年、49歳の米長邦雄が第51期名人戦で悲願の名人位に就いた。
中原流相掛かりに対して米長邦雄は引き飛車で勝利。
浮き飛車で戦う中原流相掛かりは、後手に引き飛車にされると手作りが難しかった。
森下・羽生・佐藤・森内ら若手と序盤研究した成果だった。


しかし、米長の名人位は長く続かなかった。
平成6年、第52期名人戦で羽生名人が誕生。
全冠制覇への道のりが始まった。


そして平成8年2月、羽生善治がついに破天荒な七冠制覇を果たす。
しかし、その年の棋聖戦に挑戦の名乗りをあげたのが、若き日の「武蔵(タケゾウ)」三浦弘行。
矢倉全盛だった時代に、相掛かりを武器に羽生七冠を破った。
三浦五段の相掛かりは、引き飛車から「UFO銀」と呼ばれる宮坂流棒銀。
この戦法は、平成の相掛かりの主流となり、無冠になった中原誠も追随した。
引き飛車が有効だった「中原流相掛かり」と違い、「UFO銀」には、浮き飛車にして飛車の横利きで受けるのが有効。
その結果、浮き飛車には引き飛車、引き飛車には浮き飛車と、後手の対策が確立した。


佐藤紳哉の『新・相掛かり▲3八銀戦法』


将棋世界(平成10年4月号)の付録が、相掛かり定跡に一石を投じた。
前年10月に20歳で四段になったばかりの佐藤紳哉の『新・相掛かり▲3八銀戦法』だ。
当時常識とされていた飛車先交換を保留し、後手の飛車の位置によって後出しジャンケンをしようとする革命的な発想だった。
今や飛車先交換の保留は常識だが、当時は「飛車先交換3つの利あり」という固定観念が強すぎて、誰も注目しなかった。
それに後手も飛車先を保留して鏡指しをされると、結局、先に飛車の位置を決めなければならないという懸念もあった。


後手に鏡指しをされた場合、佐藤紳哉は▲2五飛の高飛車を推した。
ちょうど、前年に中座真が横歩8五飛戦法を試したところだった。
あるいはヒントになったか?

▲2八飛型は引き飛車、▲2六飛型は浮き飛車と表現してきましたが、この▲2五飛型は高飛車と呼びます。実生活で、高飛車というとあまり良い意味に使われていないように、将棋でもあまり良い形とはされていません。しかし、この局面では、有力だと思います。つまり、少々、高飛車な男でも、条件がそろえば(顔?お金?)、女にモテるということです。

高飛車についても、アルファゼロが指すまで評価されなかった。
投じた一石に何の波紋もなく、将棋大賞の勝率1位賞と新人賞を同時受賞した天才は燻ってしまう。
ひとり時代の先を行っていた者の悲哀を感じる。


「飛車先交換3つの利あり」「飛車の位置は浮き飛車か引き飛車」。
公理に等しい二つの常識を否定した佐藤紳哉。
今日になってやっと彼の主張の正しさが理解されるようになった。
彼の前髪が後退しなかったら相掛かりの歴史は変わっていたかもしれない。

砂糖(さとう)のように甘い言葉で 深夜(しんや)に君を寝かさない

先手:AlphaZero
後手:elmo
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲9六歩 △1四歩
▲3八銀 △7二銀 ▲5八玉 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲7八金 △3二金 ▲3六歩 △3四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △8四飛 ▲7六歩 △2三歩 ▲2五飛 △4二玉
▲3七桂 △6四歩 ▲7七桂 △9四歩 ▲1六歩 △8二飛
▲8五飛 △8四歩 ▲2五飛 △6三銀 ▲8六歩 △6二金
▲4六歩 △7四歩 ▲4八金 △5二玉 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △7三桂 ▲2九飛 △2三歩 ▲2七銀 △4四角
▲2六銀 △8五歩 ▲同 桂 △同 桂 ▲2五銀 △8八角成
▲同 銀 △6五角 ▲2六飛 △7六角 ▲6六角 △8一飛
▲8七銀 △6五角 ▲3四銀 △7五桂 ▲7六歩 △8七桂不成
▲同 金 △2二銀 ▲3五桂 △3三歩 ▲2三銀不成 △同 銀
▲同桂成 △4二金 ▲4五桂 △3九銀 ▲4九金 △4四歩
▲8五歩 △3七銀 ▲2四飛 △3八銀不成 ▲5九金 △4七銀不成
▲6九玉 △4八銀引成 ▲6八金 △8五飛 ▲8六銀 △8一飛
▲8二歩 △同 飛 ▲8四歩 △5八成銀 ▲同 金 △同銀成
▲同 玉 △3四金 ▲2六飛 △2五歩 ▲2八飛 △8一飛
▲5六銀 △4五歩 ▲4四桂 △5一玉 ▲6五銀 △同 歩
▲7七角 △8五歩 ▲同 銀 △3七銀 ▲2七飛 △3八銀不成
▲3七飛 △7三桂 ▲9四銀 △4六歩 ▲4八歩 △4四金
▲8三歩成 △5五桂 ▲8二歩 △6一飛 ▲5六銀 △9四香
▲3八飛 △5四歩 ▲8四角 △6四銀 ▲7二銀 △6六歩
▲同角上 △8六歩 ▲同 金 △4七銀 ▲同 歩 △同歩成
▲同 銀 △同桂成 ▲同 玉 △4六歩 ▲5八玉 △5五歩
▲6三銀打 △同 金 ▲5六桂 △同 歩 ▲4四角 △5二玉
▲4五金 △4七歩成 ▲同 玉 △5七歩成 ▲同 玉 △5三桂
▲同角成 △同金上 ▲6一銀不成 △同 玉 ▲3一飛 △6二玉
▲8五桂 △7九角 ▲4七玉 △4六歩 ▲同 金 △同角成
▲同 玉 △4五銀 ▲5七玉 △5六銀 ▲同 玉 △6五銀
▲4六玉 △4五銀 ▲3七玉 △4六銀 ▲同 玉 △4五銀
▲同 玉 △5四金直 ▲3五玉 △4五金 ▲同 玉 △5四金打
▲3五玉
まで187手で先手の勝ち


↑画面下が問題の付録。

アルファゼロの▲3七桂

↑『将棋指す獣』より引用(原作:左藤真通、漫画:市丸いろは)


コンピュータソフト「アルファゼロ」が得意とする▲3七桂。
現代相掛かりの最先端を行く形だ。
飛車先の交換を保留し、相手が△3四歩や△7四歩を突いたタイミングで飛車先を交換して横歩取りを狙う。これが現代相掛かりの思考だ。
飛車の打ち込みに強い低い陣と▲3七桂型は相性が良い。


基本図


1.△3六飛の横歩取り

図から8二のキズに構わず△3六飛と横歩を取り▲8二歩に△8六飛▲8一歩成△同飛と桂損を甘受する手法が近年発見された。
しかし△3六飛には▲7六歩が好手で、なおも△同飛なら▲7七金△7四飛▲8二歩で△8四飛▲8一歩成△同飛に▲2四歩△同歩▲同飛として△8六歩には▲8四歩△2三歩▲2六飛△8四飛▲8六金で受かる。
したがって▲7六歩には桂の逃げ場を用意するが、△9四歩は▲2四歩△同歩▲同飛から▲8四飛の転回があるため△7四歩だが、▲2四歩△同歩▲同飛とし△2三歩は▲7四飛△7三銀▲7五飛△7二金▲7七桂で不満。△7六飛は▲8七金から△7五飛に▲7七桂と飛車をいじめる。以下△2三歩▲2六飛△3四歩に▲8三歩△同銀▲7六金△3五飛▲3六歩△5五飛▲6五金△同飛▲同桂△8八角成▲同銀△4四角▲3五歩△8八角成に▲8六飛が両取りになる。
▲8七金に△7九飛成▲同角△7八銀は、▲7四飛で△8七銀成▲8二歩△7三銀▲7六飛△8二銀に▲8五飛で先手良し。 
また、▲8七金に△2三歩は▲7六金△2四歩▲8二飛△3四歩▲7三歩△同桂▲2二角成△同銀▲8三角で先手良し。


図の局面の後手玉を△6二玉に変えると、次に△7一玉と8二の弱点をcareできる。
それなら△3六飛が成立するのでは?
△3六飛▲7六歩に△7一玉と進行。
アルファゼロは、▲6六角~▲7七桂で飛車の可動域を狭める。
そういえば「横歩三年の患い」という格言が昔あった。

もはや振り飛車のような後手陣だが、金銀桂の活用が遅れ、飛車が目標になっている。
先手の作戦勝ちは明らかだ。


先手:AlphaZero
後手:elmo
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲9六歩 △7二銀 ▲3八銀 △1四歩 ▲3六歩 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲5八玉 △6二玉 ▲3七桂 △3六飛
▲7六歩 △7一玉 ▲6六角 △3四飛 ▲7七桂 △8三歩
▲6八銀 △5四飛 ▲7九金 △8二玉 ▲2六飛 △4二銀
▲9五歩 △1三角 ▲3六飛 △2二角 ▲5六飛 △7四飛
▲1六歩 △3一角 ▲5五飛 △5一銀 ▲7五飛 △3四飛
▲1五歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 飛 ▲8五桂 △8四歩
▲9三桂成 △同 玉 ▲2五飛 △3四飛 ▲9四歩 △8二玉
▲9三歩成 △同 香 ▲9四歩 △同 香 ▲同 香 △9三歩
▲同香不成 △同 玉 ▲8五歩 △6四香 ▲7七角 △8五歩
▲8九香 △7四歩 ▲8五飛 △8四歩 ▲同 飛 △8三歩
▲8五飛 △9四歩 ▲9五歩 △8二玉 ▲6六歩 △1六歩
▲9四歩 △1七歩成 ▲6五歩 △7三桂打 ▲9五飛 △6五桂
▲9三歩成 △同 桂 ▲9四歩 △7七桂成 ▲9三歩成 △7三玉
▲6五歩 △6八成桂 ▲同 金 △6五香 ▲同 飛 △8四歩
▲9五飛 △9四歩 ▲同 と △2七と ▲8四と △6二玉
▲8三と △8四歩 ▲7二と △同 金 ▲6五桂 △9四歩
▲同 飛 △9三歩 ▲同飛成 △5二玉 ▲7三香 △6二金
▲7一銀 △6一銀 ▲6二銀成 △同銀直 ▲7二香成 △7一銀打
▲同成香 △同 銀 ▲9二龍 △4一玉 ▲4五桂打 △6二角
▲6一金 △6四香 ▲7二銀 △同 銀 ▲同 龍 △7一銀
▲同 金 △6五香 ▲6六歩 △3八と ▲同 金 △2六桂
▲2八金 △1八香成 ▲6一金 △5二銀打 ▲2四歩 △2八成香
▲7一銀 △6一銀 ▲同 龍 △5二金 ▲2三歩成 △同 金
▲1二銀 △2二金打 ▲2三銀成 △3七飛成 ▲3二歩 △3八龍
▲4八銀 △2三金 ▲6二銀成 △4九銀 ▲6九玉 △5八銀成
▲同 金 △4九龍 ▲5九角 △7七桂 ▲7八玉 △5八龍
▲8七玉 △1九成香 ▲6八金 △3二玉 ▲5八金 △4一金
▲5一成銀 △同金寄 ▲9一龍 △6九桂成 ▲7七角 △7九成桂
▲2四歩 △同 金 ▲2五歩 △3四金 ▲1二飛 △2二歩
▲2四歩 △同 金 ▲1一飛成 △4四歩 ▲3五歩 △9五歩
▲同 角 △9四歩 ▲同 龍 △9三歩 ▲同 龍 △8九成桂
▲1二銀 △4三玉 ▲3三桂成 △同 桂 ▲3一龍 △4二金上
▲8四角 △3五金 ▲6一角 △4一銀 ▲5一銀 △8一香
▲8二歩 △8八成桂 ▲9六玉 △8三歩 ▲4二銀不成 △3四玉
▲3六金 △同 金 ▲5二角成 △同 銀 ▲3三龍 △2五玉
▲1七桂 △1六玉 ▲3六龍 △9四香 ▲9五歩 △6九角
▲8五玉 △9六角成 ▲同 玉 △8五金 ▲9七玉 △9八成桂
▲8七玉 △9七成桂 ▲7八玉 △8七成桂 ▲7九玉 △7八成桂
▲同 玉 △8六桂 ▲8八玉 △7八桂成 ▲同 玉 △2三歩
▲2七金 △1五玉 ▲2五龍
まで249手で先手の勝ち



2.△9四歩の変化

再掲図

五段昇段とともに誰もがうらやむ癒し系女流棋士を伴侶にした出口五段。
同期昇段の黒田尭之五段からは「リア充爆発しろ」と言われそうだが、今後、いい意味での爆発を期待している。
さて、澤田真吾七段vs出口若武五段(王将戦)で、後手の出口五段は、図の局面から△9四歩を選択した。


△9四歩以下の指し手
▲7六歩 △3四歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩
▲3四飛 △8八角成 ▲同 銀 △3三歩 ▲3五飛 △2八角
▲1八香 △1九角成 ▲2七角 △4二銀 ▲7七桂 △7四歩
▲4八金


今まで飛車先交換を保留していた先手だが、角道を開け合った後、やっと横歩を狙って飛車先を交換する。
途中△8八角成▲同銀△3三角の筋は、▲2一飛成△8八角成▲7五角で大丈夫。


横歩を取ると気になるのは2八のキズ。
ただちに△2八角とするのは▲7七角がある。
飛車を入手すれば▲2九飛で角が死ぬ。
そこで角交換の後、△3三歩▲3五飛を決めてから△2八角だが、▲1八香△1九角成▲2七角と進行。
生角と馬の対抗では不利感があり、そのため永瀬vs羽生(王将戦)など、従来は▲3九金から馬を取りに行っていたが・・・


▲4八金が現代感覚なのだろう。
馬を相手にせず好形に組む。
後手は歩損の歩切れが痛い。


図からの指し手
 △4一玉 ▲5五飛 △3一玉 ▲5六飛 △7三桂
▲8七銀 △8四飛 ▲3五歩 

図の局面になると先手の生角を打たされた損より後手の歩切れの方が痛そうだ。
実戦も先手勝ち。