将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

傑作将棋小説「覇王の譜」

長足の進歩だ。
今までの二作、「サラの柔らかな香車」と「サラは銀の涙を探しに」は、あまり将棋を知らない人向けに書かれたような将棋小説だった。
それだけにコアな将棋ファンとしては物足りない面があった。
しかし、今回は作中で言う「将棋の国」住人向けに書かれたもので、これだけ将棋ファンの琴線に触れる作品は空前絶後だろう。
対局描写では、百田尚樹の『幻庵』に優るものは現れないと思っていたが、あくまでも対象は囲碁であった。将棋小説としては、この作品こそ正真正銘の傑作であると断言できる。
この本を読むだけで将棋が強くなる。


キャラクターの素晴らしさ

前二作では失礼ながら女性の描写に拙(つたな)さを感じた。
しかし、この作品は違う。
女性である前に一個の勝負師であろうとしているトップ女流棋士・江籠紗香が活写されており、主人公との微妙な恋愛(?)感情も巧みに表現されている。
なかなかの毒舌家だ。

「弱いんいうんはまだええで。強くなる可能性があるからな。でもあの将棋は筋が悪すぎるわ。良くて初段まで。結局、普及・聞き役コースやろな。見栄えも人並みやから若いうちに稼がなあかん。」

「筋悪の極み乙女」「親を質に入れても指せない手」「前世は虫」「そこらへんの道場におるおっさんを適当に選んで連れて来てもこれよりましな手を指す」

このように表の顔は美人女流棋士、裏の顔は性悪ヤンキー女という江籠紗香だが、直江の応援のために、わざわざタイトル戦の対局場を訪れる一面もある。
そこで大盤解説の聞き手の女流棋士が愛想笑いをして媚びを売っている姿に、昔の自分の姿を鏡で見せられているような嫌悪感を覚え、いたたまれなくなる。
おそらく殆どの女流棋士が抱いている気持ちを代弁していて鋭い。


また、主人公の第二の師匠の妻、師村美弥子の描写には、行方夫人を思わせるところがあり、雰囲気が伝わった。
二人ともステロタイプな女性像でないところが良い。

 

他のキャラクターも素晴らしい。
どの人物も平面的でなく、人間としての厚み、多面性が伝わってくる。


友であり、敵役でもある剛力英明の人物像は、読み進めるにつれて、万華鏡のように複雑に印象が変わる。
敗北者であった主人公を変えたのは、信頼していた友に謀られたという思い。
この動機には説得力がある。
おかげでこの作品が安直なサクセスストーリーに嵌らなかった。


主人公を変えたもう一人が、高遠拓未という、いわゆる天才少年。 
「棋士は儲からないんだ。トップで年一億以上稼げるプロスポーツなんてたくさんある。億なんて、トレーダー、実業家、芸能人にとってみたらゴミ屑みたいなものだよ。今時ユーチューバーだってそのくらいは稼いでいる。将棋界の人たちは世間を知らないんだ。」
「そもそも将棋って、世界とか社会とかのために役に立っているの?」
「将棋に未来はないと思うな」
クソ生意気な拓未少年も、そのひねくれた言葉遣いの裏に隠された心情に、次第に愛さずにはいられなくなる。


まとめて登場人物を紹介しよう。


登場人物

直江大(なおえだい)
主人公。二十五歳。C級2組。五段。


剛力英明(ごうりきひであき)
二十五歳。B級1組。王座。


師村柊一郎(しむらしゅういちろう)
三十五歳。A級。王将。
直江大の師匠。二つ名は「孤剣」。


江籠紗香(えごさやか)
二十三歳。女流五冠。


高遠拓未(たかとおたくみ)
十一歳、小学五年生。京都の天才少年。


北神仁(きたがみじん)
三十一歳。四冠王。将棋界の第一人者。


三木邦光(みきくにみつ)
師村柊一郎の亡き師匠。


千々岩秀世(ちぢわひでよ)
五十歳。棋聖。
剛力英明の師匠。棋界保守派の長。


佐高敦(さたかあつし)
東京毎日新聞所属の観戦記者。


中込成彦(なかごめなるひこ)
京橋、バー「ゴメス」のマスター。
元奨励会員。


遠藤真司(えんどうしんじ)
十八歳。C級2組。四段。


モデルは?

対局場は、連盟はもちろん、「中の坊瑞苑」などお馴染みの旅館の名がそのまま使われていて、対局風景もそのまま。「陣屋カレー」も登場、美味さが伝わった。


棋戦は、棋聖・王座など実際通りだが、最後にフィクションとして「蒼天戦」という新タイトル戦が戦われる。


どの人物もモデルが特定されないように巧く書かれているが、朝ドラ『ふたりっ子』の銀爺のモデルになった「最後の真剣師」故大田学さんが尾賀直孝という名で登場する。
千々岩秀世棋聖には、日本将棋連盟元会長の故米長邦雄九段を思わせるところが若干あった。しかし、そんなに色濃くはない。
「光速の寄せ」で知られる谷川浩司九段を基にした記述はある。

かつて「神速の攻め」で鳴らした天才棋士の唯一の弱点は入玉だった。


将棋について

棋士とは?

己の足りなさを自覚しながら、それでも頂を目指すものが持つべき資質はただひとつ。狂気だけ。「指し狂い」なるものが棋士の本質なのである。


コンピュータ将棋について

人間より強いAI同士が作り出す将棋は、トッププロでさえ手の解釈に苦しむ現代のロゼッタストーンだ。いわば人間たちが手にするはずのなかったオーパーツ。魅入られないわけがない。


相掛かり

 飛車先の歩を目一杯伸ばし合った形は、さながら剣道で互いに上段の構えを取った姿のようだ。将棋ではこの形を「相掛かり」と呼ぶ。昔は「相懸かり」と書いたそうだが、互いに自信があって誘導しないと実現しないためそう言われていたのかもしれない。
 角換わりや横歩取りと比べ、定跡が整備されておらず力戦調になることの多かった相掛かりであるが、近年急速に体系化が進んでいる。原動力になっているのは、コンピュータソフトによる解析だ。道なきところに道を作る役割は今やソフトが果たしている。もちろん、その道を歩き通せるかは指し手の腕次第ではあるのだが。
 具体的には十年前と、今の相掛かりでは飛車先の歩を交換するタイミングが違う、現代相掛かりのほうが数手遅いのだ。これは、相手に先に形を決めさせてそれに対応した有利な形を築く-というジャンケンにおける後出し理論が浸透したからである。対振り飛車や矢倉で考え出された原理が、しばらく後に他戦法で形を変えて導入されるという例は多い。遺伝学で水平伝播と呼ばれているような現象がこの世界でも起こっているのだ。

相穴熊

相穴熊の終盤は経験値がものを言う。他の戦型では考えられないような踏み込みや、一見損と思える駒の交換が好手になる局面が頻出するのだ。


 

将棋プロの実態

研究と実戦の距離は?

 最初の三十分と比べると、少考が続くようになってきたが、まだ研究範囲から外れていない。しかし、研究の範囲内とは言え「これにてよし」と結論が出せているわけではなかった。

 仮にと進めた一局面ですら膨大な変化を孕んでおり、最先端のAIをもってしても網羅し尽くしてないのだ。結局、研究が有効なのは相手が明確なミスをした時だけなのである。おそらくそれは変化の枝全体の一パ-セントにも満たないだろう。研究には相手を落とし穴に嵌めるためのものと、自分が落ちないようにするものの二種類がある。AIを導入した時に注入したのは前者だったが、今ではもっぱら後者のためにPCと向かい合っている。棋士が事前研究にかけなければならないコストは年々増えているが、最後の勝負は自分の膂力で決まるということだけは変わらない。


プロの勉強法は?

 直江は部屋の中央に置かれた六寸盤の前に座ると、駒箱から駒を取り出して、一枚一枚ゆっくりと並べていき、数分間の瞑想を行う。しばらくして目を開けると、床に置かれた一冊の本を取って、一ページ一、二秒という速さでめくっていく。簡単な「詰将棋」の問題集だ。
 (中略)直江は僅か十分程で四冊をめくり終え、深く息を吐いた。
 次に手にしたのは「詰将棋パラダイス」という薄い冊子のような月刊誌である。先ほど直江が解いていたのは、プロならば一目で解答が浮かぶ三手から七手の詰将棋だった。「詰パラ」には初級者のために客寄せ用の簡単な問題も掲載されているが、メインとなるのは長手数の難解作や芸術作なのである。百手を超えるものもざらだ。呻りながら一時間かけて格闘する。もちろん、盤上に並べて検討することはしない。全てを脳内で完結させるというのが、このトレーニングの肝なのだ。
 (中略)
 一時間が過ぎ、スマホのアラームが鳴ると、ようやく盤上の駒に手を触れた。昨日の対局を再現し、要所要所で手を止めながら考える。負けた将棋を引きずらず、早く忘れることがプロとしての合理的な在り方だと主張する棋士もいるが、直江にそのような潔さはない。何度も何度も反芻し、傷口に塩を捻じり込み続けることで強くなっきたという自負がある。

・・・これと同様の勉強を森内九段がやっていた、と伝え聞いたことがある。 


勝負の機微

 「直江先生、残り一分です」
記録の声に合わせ、龍を自陣に引き上げた。徹底的に粘りに出る順である。この手には多少悪くとも、あと五十手は長引かせてやるという意思を込めた。
 羽藤は右手で眼鏡を整え、「ひゅう」と息を吐いた。おそらく、想像していなかった手なのだ。攻め合いでわずかに残しているというのが、彼の読みだったのだろう。
 先に羽藤が秒読みになり、続いて直江も一手六十秒の世界に入っていく。
 直江は頑強に受け続け、王から遠い筋のと金を忍び寄せることで、羽藤にプレッシャーをかけた。
 先ほどまでと違い、羽藤には速い手ではなく確実な攻めが求められる。これまでの読み筋を全て放棄しなければならない、というのも直江が完全なる受けを選択したことの利点だ。
 (中略)
 羽藤は見える中で一番厳しい順を選択した。しかし、それは直江の待ち受けるところでもある。この性急さが羽藤の棋士としての限界を示しているようにも思われた。
実際に対局しているが如き心理描写に心拍数が高まる。
速い手を求める発想力と確実な攻めを探る広い視野は、使う脳味噌が違う。
簡単にギアチェンジできるのが超一流。

終局の光景

勝った瞬間、周りの様子と音が飛び込んできた。極度の緊張から解放された時の感覚は、長く潜っていた暗い水面から顔を出し陽光を浴びた時のそれによく似ている。遠藤はというと、正座の膝の上で拳を握りしめたまま、視線を右斜め上にやってしばらく呆然としていた。

どこか既視感がある。


焼肉屋の光景

隣の席にいるのはネクタイを締めたサラリーマンらしき男たちで、テーブルに空いた中ジョッキを並べていた。白髪頭と黒の七三。若いほうはしきりに頷いて相づちを打っていたが、足下を見るとしきりに貧乏揺すりをしている。本心は下半身に出るものらしい。

鋭い観察眼は将棋だけのものではない。

橋本長道・・・いい作家になった。

将棋文学の頂点

(棋譜情報の中で)最も記憶を刺激する情報は消費時間である。棋士にとってのマドレーヌの香りと言って良い。ひとたび触れればどの局面で悩んだのかが昨日のことのように鮮明に浮かび上がる。

いうまでもなく、プルースト『失われし時を求めて』を下敷きにしている。
作者の厚い読書遍歴が窺われる。

選びに選ばれた言葉

「最終盤を戦う棋士にとって、時は金よりも尊い。そしてその金は体感として一瞬のうちに溶けて消える。」
いきなりこんな描写で、選びに選ばれた言葉が読み手の胸に突き刺さる。
「1分将棋に過去は存在しない。たとえ取り返しのつかない悪手を指してしまっても、振り返ってはならない。反省してはならない。今現在盤上で起こっていることをありのまま受け入れ、未来だけを読み続けるべきなのだ。」

「迷う」でなく「躊躇う」、「深く」でなく「遠くまで読む」、「知られた」でなく「鳴らした」、「見抜かれている」でなく「背中まで見透かされている」。
推敲に推敲を重ねた表現が窺える。
長い助走をとったからと言って、高く飛べる世界ではない。

「将棋の作りは粗く、奨励会感覚が抜けきっていない。そうした拙さは初段から三段の間に勝てないことで矯正されるものだが、なまじ終盤力と勝負勘があるため省みられず、そのままプロになってしまったのだろう。」

「早見え早指しの棋士は若いうちは才能があるとみなされ、過大評価される傾向にある。しかし、長期的に見れば、持ち時間に対する考え方を改めない限り、彼が上に突き抜けることはないだろう。いくら時間差をつけることができたとしても、上のトップクラスの棋士相手に逆転勝ちを収め続けるのは至難の業だからだ。」

「対局で負かして、感想戦でも負かす。それで初めて相手に強さを認めさせることができる。」

「超一流と一流、二流の差は紙一重。負けている将棋をどれだけ拾えるかが棋士の将来を分ける。」

原田泰夫九段の「堂々と勝ち堂々と負ける」 

いかなる闘いにもたじろぐな
偶然の利益は騎士らしく潔く捨てよ
威張らず、誇りを持って勝て
言い訳せず、品位を持って負けよ

堂々と勝ち、堂々と負けよ
勝利より大切なのはこの態度なのだ

汝を打ち破りし者に最初の感激を、汝が打ち破りし者に感動を与えよ

堂々と勝ち、堂々と負けよ
汝の精神を、汝の肉体を、常に清廉に保て
そして、汝自身の、汝のクラブの、汝の国の名誉を汚すことなかれ

ドイツの哲学者カールー・ダイムの詩より