化粧するなんて裸になるより恥ずかしい
徒然なるままに
「AIに将棋で勝とうなんて自動車と競争するようなものですよ。」
と故大山康晴15世名人の言葉を持ち出した阿部光瑠プロに対し、
「やはり自動車は乗るもの。AIで将棋を学べばいいんですよ」
てな感じで返した山口恵梨子女流プロ(通称エリリン)は流石と思った。
藤井聡太は間違いなく天才である。
天才の「天」という字は「一」という字に「大」がつく。「一番大きい」と読める。
さらに偉いのが「夫」、「天」という字をさらに突き抜けている。
しかし、偉そうにしてはダメ。
「夫」は一人ではなれない。妻が居てはじめて夫になれる。
その証拠に「夫」という字を分解すると「二人」となる。
羽生善治も天才である。
ハブといえば、沖縄に居る猛毒を持つ蛇だが、将棋のハブは噛まずにさす。
沖縄のハブは英語が喋れるらしい。
「お前は毒を持っているか?」
「Ⅰ habu」
「お前の毒は強力か?」
「 it's heavy」
ハブ捕り名人は、ハブを一年で400匹ほど捕まえる。ハブ1匹が3000円くらいになるので年収120万円ほどになる。
ついに家を建てたらしい。
もちろんプレハブだが・・・・
ハブ捕り名人が捕まえたハブを出荷するまで家で保管していたところ、動物愛護法上の無許可飼育に当たるとして逮捕された。
これは本当の話。
何といっても一番は「けんこう」である。
二番目は「しょういん」、三番目は「しげる」
これは吉田家の話。
ちなみに先日、大麻取締法で逮捕された俳優は、大河ドラマで主演の井上真央の兄、吉田松陰役をやっていた。呆れた話だ。
また、映画「三月のライオン」では主人公が思いを寄せる清原果耶の父親役を演じた。これはある意味イメージ通りの役柄だったが。
以上のネタ元は三遊亭圓歌の落語「薬缶」。
将棋と関係ありそうで・・ほとんどない話でした。
日本人の好きなのは、演歌と剣玉
クドカンのドラマ「不適切にも・・・」で、MCのスキャンダルによって穴が開きそうになる番組を八嶋智人が代役を務め、剣玉によって時間を繋ぐ場面があった。
曰く「日本人の好きなのは、演歌と剣玉!」
この剣玉だが、歴史は古く、16世紀にフランスの国王アンリ3世が嗜んだという記録が残っている。 フランスでは「ビル・ボケ(Bilboquet)」と呼ばれ、 ビルは玉、ボケは小さい木のこと。英語ではカップ&ボールと呼ばれる。

当初は上図のような単純なものだったが、日本人が改良して「日月ボール」という名で現在の形のものを生み出し、今日の流行となった。

思うに日本人は、遊びの天才である。
将棋もそうだ。
一日一森下
森下さんが子どもの頃、先に覚えたのは「囲碁」だったが、後から覚えた「将棋」の方が、より面白いと感じた。
ちなみに羽生さんや森内さんが好きな「チェス」はあまり知らない。
この三つのゲームを比較すると、一手の重みでは
チェス>将棋>囲碁
しかし、チェスも囲碁も終盤になればいくほど指し手の可能性が少なくなるという「収束型」なのに対し、将棋は逆に終盤になればなるほど指し手の可能性が広がるという「拡散型」。
こんな面白いゲームはない。
日本文化を代表するものをただ一つ挙げよ、と言われたらどうするか?
「一つは困る」と言うだろう。日本文化にはいくつかの柱があり、少なくとも三つは必要だからだ。
しかし、その中の一つに「将棋」が入るのは間違いない。(中略)
それはこういうことである。
将棋の原型は、インドで生まれたチャトランガという?戦争ゲームである。
つまり、世界で初めて古代インド人が、駒を使ったボード盤上ゲーム遊戯としての「戦争」を発明し、それが西に伝わってチェスとなり、東に伝わって将棋となったということなのだ。
西洋においては、チェスという形で統一されたチャトランガ将棋は、東洋においては様々なバリエーションを生み出した。中国にも韓国にもタイにも、それぞれ独自の「将棋」がある。(ちなみに中国では「シャンチィ象棋」、韓国では「チャンギ将棋」、タイでは「マーク・ルック」という)。
つまり、こう言い換えてもいい。
古代インド人が考えた「チャトランガ」を、ゲームとして最も完成された形にするためのレースが、世界のあらゆる民族参加のもとに数世紀にわたって行われてきた。この偉大なるレースには。数え切れないほどの人々が民族の英知を傾けて加わったのである。
そして、その結果、西洋民族はその最終作品としてチェスを、中国民族は象棋を、そして日本民族は将棋を「提出」したということなのである。
だから、この「民族技能オリンピック」の場において、どれが優秀作品か、という形で、決着はつけられるのである。
では、具体的にどういう基準で優劣を決めるか?美人コンテストのように評価が分かれることはないのか?
それはない。実に明確な客観的な基準で、優劣はつけられるのである。
その基準とは、最も論理的なもの-数学である。(中略)
人工知能によるケームの研究の第一人者松原仁氏によると、チェスの場合の数は10の120乗だが、これが将棋だと10の220乗になる。乗数で100違うということは一体何倍の違いか。興味ある方は計算してみられるといい。まさに将棋は「ケタ違い」の複雑さなのである。(中略)
「駒の取り捨て」がルールであるチェスは、終盤になればなるほど局面が読みやすくなるので、引き分けに持ち込みやすいのである。
これに対して将棋は「名人戦」でも滅多に引き分けがない。
「引き分けに」に逃げ込みやすいゲームと、それが難しいケームと、どちらがゲームとして優秀か?これも言うまでもないことだろう。
井沢元彦著「逆説の日本史8中世混沌編」より勝手に抜粋
古都

京都三大祭りの一つに数えられる祇園祭は、明治時代までは「祇園御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれ、平安時代から伝わる、怨霊を鎮める儀式でした。
京都は、三方向に山を抱えています。東山、北山、西山です。
それらの山が、京都盆地に住む人々に、常に東西南北の方向を教えてくれます。
なお、今から1225年ほど前の794年に造られた平安京は、今よりずっと西の方角にありました。
平安京を設計するにあたり、弟である早良親王の怨霊を恐れた桓武天皇は、鬼門の方角に比叡山を戴き、帝(ミカド)がお住まいになられる内裏の北東部には鬼門除けの「欠け」を作るなど細心の注意を払いました。
現在の京都市のセンターストリートである「烏丸通り」は、平安京では東の果てにあった「烏丸小路」という幅4丈(約12メートル)くらいの、当時としては小さな通りだったのです。
そして「烏丸通り」よりずっと西の方に「千本通り」という南北路がありますが、これがかつての平安京のメインストリートである「朱雀大路」に相当します。道幅はなんと28丈(約84メートル)はあったと推定されています。
その「朱雀大路」の南端に設けられていたのが、芥川龍之介の小説で有名な「羅生門」というゲートです。正しくは「羅城門(ラジョウモン・ラセイモン)」と書くようで、昔、中国や朝鮮では都を囲う城壁を「羅城」と呼んでいたことに拠るようです。現在、そこに「羅城門」というバス停があります。
地図で見ると、「朱雀大路」の左半分にあるのが右京で、右半分にあるのが左京となっています。右と左の位置関係が逆転しているので不思議に思いますが、都の最北端中央に置かれている内裏から帝が南の方を見た時の左右によってこのように名付けられているのです。ちょうど、お雛様の「右近の橘、左近の桜」というのが、帝から見た位置をいうのと同じですね。
桓武天皇の子の嵯峨天皇の時代には、平安京を唐の都になぞらえ、左京を「洛陽城」、右京を「長安城」と呼んでいました。
そして平安京の碁盤の目の一番北の辺は「北京極」と呼ばれ、そこに「玄武」という頭が蛇で胴体が亀の生き物を守り神として置きました。対する南の辺を「南京極」と呼び、「朱雀」なる鳥の守り神を置き、さらに東の辺を「東京極」と呼んで「青龍」を、西の辺を「西京極」と呼んで「白虎」を置きました。いわゆる「四神(四聖獣)」ですね。
これらの守り神は、平城上皇の復位及び平城京復都を図った「薬子の変(平城太上天皇の変)」の教訓による備えで、裏には嵯峨天皇が庇護した空海の存在があったかもしれません。
古都における怨霊伝説の元祖というべき菅原道真が亡くなったのが10世紀初頭、そして紫式部が活躍したのは10世紀末から11世紀初めにかけてでしたが、その頃には「長安城」と呼ばれた右京の方は、すっかりさびれました。最大の原因は、保津峡(ほづきょう)を通って嵐山から南へと流れていく桂川の氾濫でした。
そのため右京に住んでいた人々は次々に住まいを棄て、東の左京すなわち「洛陽」のエリアに移りました。西半分の「長安地域」は、「人家はまばらで幽境のごとし」と語られるまでに荒廃し、平安京の中央大通りであった「朱雀大路」は、いつのまにか洛陽の西の辺境という位置づけまでに落ちぶれました。「朱雀大路」のメインゲートとなっていた「羅城門」も、芥川が『羅生門』に描いたような、死人が無残に打ち棄てられ、その死体から物を盗る鬼畜が横行するようなありさまでした。
結果、平安京の東半分にあたる洛陽エリアだけが都の体裁を保ったため、そこを中心にして「洛中」「洛外」の概念が生まれ、洛外は方角によって「洛東」「洛西」「洛北」「洛南」と呼び分けられました。
この段階で、京の都の規模は、桓武天皇の設計のおよそ半分に縮小してしまいました。

さらに全京都を戦火の炎で焼き尽くした応仁の乱(1467~1477)によって、京都は南北に隔てられ、北を「上京」南を「下京」と呼ぶようになりました。
京都の人は、今でも「先の戦争」というと応仁の乱のことを指します。
その後、法華宗徒と延暦寺が争った天文法華の乱(1536年)が起こり、これにより上京の三分の一が焼けてしまいました。焼け出された民衆は、寺が手を出せない内裏に逃げ込み、内裏の人達もそれを受け入れたといいます。
そうした京都が立ち直ったのは、群雄割拠の戦国時代を勝ち抜いてきた織田信長の次の覇者、豊臣秀吉の時代からでした。
秀吉の寄進によって、織田信長が焼き払った比叡山、本願寺はじめ多くの寺社がかつての繁栄を取り戻すようになりました。
人たらしの天才である豊臣秀吉は、こうやって織田信長と敵対していた宗教勢力を味方につけました。
しかし、その後覇者が交代し、徳川幕府の時代になると、新興都市江戸が繁栄する一方で、京都は長い停滞の時代を迎えます。
時は移り、幕末、長州藩士による蛤御門の変(禁門の変)によって京都は大きなダメージを受けました。長州藩よりも一橋慶喜の命により会津藩が行った焼き討ちの方が損害が大きかったといわれます。
第一次長州征伐の後、それまで幕府を中心とする雄藩連合体制を目論んでいた薩摩藩の西郷隆盛は、慶喜の真意が幕府による中央集権体制にあることを知り、長州と同盟して倒幕へと大きく舵を取ります。
鳥羽伏見の戦いに敗れ、徳川慶喜が静岡で謹慎すると、多くの旗本が付き従ったため、江戸は空き家だらけになりました。それに目をつけた大久保利通によって、廃墟となった京都を棄て、江戸から名を変えた東京へ遷都します。お金のない新政府には京都を復興する力はありませんでした。
こうして京都は主を失ってしまいました。
その後の京都の復興には、京都府第三知事・北垣国道による琵琶湖疏水が大きな役割を果たしました。琵琶湖の湖水を西の京都に流し、疏水の水を使って新しい工場を興し、疏水を渡る舟で物資の行き来を盛んにしようとする事業でした。
第二次世界大戦では、京都の被害は比較的軽微でした。アメリカ軍が京都の文化財に配慮したわけではありません。原子爆弾投下の候補地だったので、その効果を正しく計測するための配慮でした。
しかし、陸軍長官のヘンリー・スティムソンが、「京都を原子爆弾で破壊すると日本人の敵愾心を煽り、後の占領統治に支障が生じる」と判断して投下を取り止めました。スティムソンは京都旅行の経験があり、京都がどういう場所か知っていました。
歴史都市京都を破壊したのは、ほかならぬ京都人でした。
終戦前の昭和20年3月に「戦時家屋強制疎開」が行われ、堀川通、御池通、五条通などの町家は全て取り壊されました。なぜか取り壊しを免れたのは、祇園祭の山・鉾を守っている区域でした。何か忖度があったのかもしれません。
かつての京都では、祇園祭の山・鉾よりも高い建物はありませんでした。しかし、戦後の高度成長期には、経済至上主義の流れに従って、次々とダークトーンの二階建ての町家が安っぽい光を放つビルやオフィスに取って代わりました。
現在の山車は、背の高いビル街の中、熱いアスファルトの上を進んで行きます。
祇園祭が何か滑稽な催しに墜ちてしまったような違和感を感じるのは私だけでしょうか。
時事
少子化じゃない、少親化だ。(養老孟司)
脳は楽をしたがる。(養老孟司)・・・結論を急がない
「獣医が増えすぎて困るから獣医学部新設を制限する」という理屈なら、弁護士が増えて困るから法学部新設を制限するか?(高橋洋一)
日本は、議院内閣制でなく官僚内閣制(飯尾潤)
中国の台湾侵攻は6年以内(2021年米軍予想)
最新の教科書
小1~2年生の教科書から理科・社会が消え、代わりに「生活科」が登場
最古の人類はアフリカのチャドで発見された「サヘラントロプス・チャデンシス」
約700年前のもの
太平洋戦争の始まりは、マレー半島への上陸と真珠湾奇襲
リンカーンは「リンカン」、マゼランは「マガリャンイス」、ルーズベルト大統領は「ローズベルト大統領」
1リットルは、1ℓでなく1Lと表記
仕事術
仕事は、90分集中して20分休憩するのが良い(ウルトラディアンリズム&ツァイガルリク効果)
マルチタスクよりシングルタスクの方が成果は上がる。
PI(パーソナルアイデンティティ)

- スーパーPI講座: 自分さがし自分づくりのために
日本実業出版社
本
MI【マインドアイデンティティ】考え方・あり方・存在意義・・・精神の部分
BI【ビヘイビアアイデンティティ】振る舞い・発言・態度・・・・行動の部分
VI【ビジュアルアイデンティティ】表情・姿勢・見た目・・・視覚的な部分
「情報のほとんどが視覚を通じて伝わる」と言われるため、ファッションなどの視覚的な部分がクローズアップされることが多くありますが、MIやBIのように目に見えない価値と行動の実践が PIの構築を成功させるためには大変重要です。
パーソナルアイデンティティ(PI)の重要性
PIの要素であるMI、BI、VIの方向性が統一されていると、
・存在感がアップする
・言葉に説得力が増す
・初対面でも誤解されずにコミュニケーションが取りやすい
などのメリットがあります。
「あの人素敵」と感じる人はたいていPIが統一されていることが多く、ありのままの自分を表現できています。
寓話
裕福で力のあるペルシャ人が召使を従えていた。
急に召使が言った。
「今しがた死神と出くわして脅されました。私に一番早い馬をください。それに乗って今日中にテヘランまで逃げます。」
と馬に乗って去って行った。
それから、主人が館に帰ると死神がいた。
「なぜ私の召使を怖がらせたのだ」
死神は答えた。
「驚いたのはこっちだ。あの男とは今夜テヘランで会うことになっているのに。」
(フランクル『夜と霧』)
野球
打者のタイプは4つに分けられる
A型:直球に重点を置きながら、変化球にも対応しようとする。
B型:内角か外角、打つコースを決める。
C型:右翼方向か左翼方向か、打つ方向を決める。
D型:球種にヤマを張る(このタイプは根拠を見つける努力をするとよい)。
(野村ノート)
落合政権でのコーチのルール
「選手が訊いてくるまでは教えるな」
「選手と食事には行くな」
「絶対に選手を殴るな」
(鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』)
教える!
◆何をどう教えるか
教える前に自分を見直す
雰囲気づくり、常にオープンマインド
まず自己紹介で相手を掴む、次に相手の話を聴く
説明と実習のバランス
詰め込みすぎは逆効果、できるだけシンプルにわかりやすく
重要な20%を教える(パレートの法則)
教えるには段階がある
最初に設計図・目次を・・・まずは浅く広く
反復学習・・・教えた量より定着率
意味・目的・目標を明確にする
相手に考えさせる・・・「やらされている感」は苦痛
事実と意見を混同しない
教えられる側同士のコミュニケーションを図る・・・三人寄れば文殊の知恵
「やってみせて 言って聞かせて やらせてみて ほめてやらねば 人は動かじ(山本五十六)」・・・頭でなく体で
◆話し方
声は大きく明瞭に、話すスピードは速すぎず適切に・・・語尾や文末をはっきりと
間を大切に
表情・ジェスチャーや姿勢・服装に気配りを・・・視線にも気を配る
難しい言葉は避け、効果的な比喩かつ具体的に
数字やデータで根拠を示す
PREP法
point
reason
example
point
◆モチベーションupには?
相手の承認要求を満たすには「確認」と「許可」が大切
遊びの要素を
挑戦する勇気を持たせる
◆リフレッシユ
90分集中して20分休憩
疲れてから休憩するのでなく、疲れる前に休憩
◆鉄メンタル
愚者は恐れを知らない。
勇者は恐れを見せない。
◆為末大【ハマりやすいアスリート】(日経新聞「スポートピア」より)
昨年は賭博や薬物などアスリートの不祥事が相次いだ。なぜアスリートがあんなことを、という声もよく聞いた。
アスリートは自らを律し、継続した努力をすることができるはずと思われている。だが、違う視点から見ると、その多くが"ハマりやすい"性質を持つ。トップを目指して十数年も普通では考えられないハードなトレーニングを行う。ふと、これに何の意味があるのかと我に返ったり、飽きたりしてもよさそうだが、優れた選手はそうならない。"ハマっているから"だ。
フランスの哲学者、ロジェ・カイヨワはその著書の中で、遊びを4つに分類し、深い洞察を行っている。競争(アゴン)、運(アレア)、模倣(ミミクリ)、目眩(めまい、イリンクス)だ。
遊びは非現実的であり、限定された世界で行われる。カイヨワは遊びは人生を豊かにするが、この限定性が失われ抑制がきかなくなると途端に人生にとって有害なものになると説く。アレアは度を過ぎたギャンブルに、イリンクスは飲酒、薬物へと堕する。
アスリートだった現役時代、リスクを好み、強いプレッシャーに耐え、ひたすらに没頭することは良いことだとされていた。引退した今ではこの現役時代に培われた(または生来持ち合わせていた)性質は、危ういものなのだと感じている。
2009年のスポーツ・イラストレイテッド誌の記事は、引退後78%のNFLプレーヤーが自己破産すると書いている。トップアスリートの引退後の人生は必ずしも幸せであるとは言えない。
何万人もが見ている中で勝負することは、私の経験では最大の興奮だった。あれだけの刺激は実社会にはおそらく存在しない。あの刺激を追いかけ続ければどこに行ってしまうだろう……。練習に没頭できることは、周りが見えなくなってほどほどでやめるというチューニングができない性質の裏返しでもある。
スポーツの現場は観客にとっても非現実であるし、非現実だからこそ古来、闘技場で人々は熱狂してきた。観客はスタジアムを離れれば日常に戻るが、舞台の上で戦った闘士はいかにして日常に戻るべきか。カイヨワは「立派な遊戯者とは生活の領域と遊びの領域を取り違えない人である」と書いている。
アスリートは魅力的だがバランスを欠きやすくサポートが必要な存在、という方向に認識を変えるべきだと思う。トップアスリートほど孤独を感じやすい。少しの理解とサポートがあるだけで人生が大きく変わる可能性がある。
アスリートファーストという言葉に、引退後の人生も含まれることを願っている。かつてのヒーローが引退後どんな人生を歩むかは、社会にとっても影響が大きい。
◆塩野七生『ギリシャ人の物語』が完結
最終巻の主人公は紀元前4世紀のの東方遠征で知られるマケドニアの王アレクサンドロス。
「月並みの将軍はどうゆやったら敵に勝てるかを考えて戦略を立てる。70年前の日本もそう。ところがアレクサンドロスは違う。どうやったら敵が自分に勝つか。まずそれを考え、次にどうしたら敵にそうさせないかを考える。その後で初めて戦術です」。
・・・ひとつの戦闘に負けても戦争に勝つことを考えていた。
◆☆祝★小平奈緒さん! スピードスケート女子500m金メダリストに(平昌五輪)
長野県茅野市出身
スケート部のない高校の同好会で技を磨き
実業団の誘いを断り、金メダリスト清水宏保を育てた結城匡啓監督を慕って信州大学に進学
現在は、治療やリハビリでお世話になった相沢病院(松本市)に所属
会話もままならないオランダに留学して心身を鍛え
スピードスケートW杯女子500mにて15連勝を達成
平昌オリンピック日本選手団主将として重圧がかかる中
スピードスケート女子1000mにおいて銀メダル獲得(高木美帆選手も銅メダルを獲得)
同500mでは、オリンピック新記録となる36秒94のタイムで金メダルを獲得
女性が平地で37秒を切ることは、人類にとって素晴らしい記録
この活躍により、フィギュアスケート二大会連続金メダルの羽生結弦選手と共に国民栄誉賞受賞の声が高い
好きな言葉は、「勇猛邁進」
一番大切にしている漢字一文字は、「輪」※
※平昌オリンピック前の壮行会で、書の武田双雲先生の指導のもと揮毫
愛読書は、「解剖書」らしい。長野オリンピック金メダリストで解剖学を学んでいた清水宏保の影響もあって、背筋に付着している「多裂筋」に至るまで、自分の体を使いこなしている。
彼女を支えるガンジーの言葉は、「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」
グレンスミスの日記(萩尾望都「ポーの一族」)
生きて行くってことは
とてもむずかしいから
ただ日を追えばいいのだけれど
時にはとてもつらいから
弱い人たちは
とくに弱い人たちは
かなうことのない夢を見るんですよ
「このシリーズ(ポーの一族)の一編に『グレンスミスの日記』という名作がありまして、私はこれは70ページくらいの作品だとずーっと思っていましたが、ある時、かぞえてみたら実は24ページしかなかった。(中略)
以来、私は24ページという数が怖くなってしまった。
私にはあれだけの内容を24ページで描く事はとてもできないから。
周りの人達から“グレンスミスの呪い”と呼ばれてました。
(今市子『ネムキ』1999年10月号増刊)





若くしてこの世を去った名もない画家。
数々の忘れられない思い出とともに唯一無二の作品を遺しました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

なぜあんなに強い人が亡くなって、こんな弱い自分が生きているのだろうか?
将棋を愛する皆さんへ
がんばって棋力向上に努めてください!
そしてそれ以上にenjoyしてください!
将棋の楽しみ方は色々あります。
将棋は自由!(by八島先輩)
<将棋を覚えた頃>
私は新しい手を発明する事が何より好きでした。
中学校で将棋を覚え夢中になり、出会った本が故山田道美九段の『現代将棋の急所』でした。
山田九段は情熱の棋士で、研究家として知られていました。私がこの本に出会った時にはすでに若くして他界されていて、病弱だった私の心を捉えました。
大学までの将棋の師匠はこの人(本)で、得意戦法はこの本で学んだ右四間飛車でした。
当時の発明品が下図。

5三に成られたらいけないので後手は△5二金と受けますが、▲2五歩と飛車先突破して勝ちと思っていました。
初見では△3三桂という対応が多く、▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲3三桂成△同角▲3四飛などと進行するのが通常でした。
左桂がさばけて振り飛車十分ですが、私は飛車先の歩が交換ができたと喜んでました。
得意になった私は、通天閣将棋センターでこの戦法を試してみました。
一度目は成功しましたが、二度目に試みると▲2五歩に△4三金とされ▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2九飛に△5四歩から△5二飛▲5六歩△5五歩▲同角△同飛▲同歩△4五歩とボロボロにされました。
相手の強さと、こんな受けがあった事に感心しました。
この頃はホントに弱かったですが、それでも将棋が楽しくてたまりませんでした。
<大学時代>
練兵場たりしキャンパス青き踏む
亡き父の句で「長男大学入学」と説明があります。
大正生まれだった父は、あるいは兵としてこの場所で過ごした記憶があったのでしょうか?今でもおびただしい数の銃弾が出土するといいます。
大学は練兵跡なり祝う父
将棋漬けで受験勉強もしませんでしたが、幸い地元の大学に入学することができました。(隣県の国立o大学法学部も受かりましたが、家業の手伝いとお金がかかると蹴った。)先輩・後輩に恵まれ、大学での体験は、生涯忘れられない宝物となりました。
私は地元生まれの地元育ち、「井の中の蛙」を絵に描いたようなローカル人間です。そんな人間だから中央に対する対抗心というのが人一倍ありました。したがって王座戦で当時最強の東京大学に勝ったのは、とてもうれしかった。
その時の東大は、大将:谷川俊昭(いうまでもなく谷川17世名人の兄)、副将:深井一伸(後の看寿賞作家)、三将:細見和雄(この大会の勝率1位)等々ナマで見るのがまぶしいような面々でした。そのチームに、わが大学は勝ったのでした。しかし、残念ながら私はこの大会に参加していません。お金がない、そんなつまらない理由で行きませんでした。代わりに、何ヶ月か前に定跡を覚えたばかりという斎藤好幸君が狩り出され、見事金星を挙げました。彼のようなのを天才というのでしょうね。
その後、運良く個人三位になり、学生名人戦の地区代表になった時は、さすがに参加しました。そこでナマで伝説の真剣師、小池重明を見ました(やっぱり大会には参加すべきですね)。地区個人一位の森岡正幸さんと金子タカシ君(当時東大)の局後の検討の折でした。裸足で大きな顔、他を圧倒する存在感。雲の上の人を前にして、感想戦に加わることもできませんでした。
また、南谷誠一郎、松田耕治、森岡正幸(敬称略)というメンバーで支部対抗戦に出場し、西地区団体優勝したのも大きな誇りでした。南谷さんの台詞が「他の成績だと段くれるかどうかわからなかったので優勝してきたよ。」というもので、クールでした。
やはり右四間飛車が好きで、当時の発明品が下図の端桂。

3七の空間が空いてないので△3七角などのキズがありません。
しかし、このアイデアは他にも思いついた人がいたようで、△1二香▲2五桂△2四角▲4五歩△同歩▲1一角成△3一金という対策が雑誌に載り、使えなくなりました。
そのため玉を穴熊や左美濃に囲うようにしました。
振り飛車側が高美濃から銀冠に組み替える隙に▲3五歩△同歩▲4五歩と仕掛けたり、▲4五歩△同歩▲3三角成△同桂▲7七角△4三飛に▲4五桂△同桂(△同飛が正着)▲4四歩と仕掛けたりしました。
▲3七桂と跳ねると仕掛けが難しく、▲3五歩△同歩▲3八飛と飛車を転換して攻めるようにしました。
それなら最初から途中下車せずに▲3八飛とできないかと下図を考えました。

相手が何もしなければ▲3五歩△同歩▲3八飛と仕掛け、通常より一手得です。
△4五歩には▲3三角成△同桂▲7七角△4三金▲4五歩と対応します。
卒業して間もなく、この形から飛車先を伸ばし▲4五歩と仕掛ける「石黒システム」という指し方が有力だと後輩から教わりました。
時代が変わり、ネット社会になると、実はそれまで定跡とされていた△5四銀が悪く、△4三銀のまま待機されると仕掛けが難しいことが知れ渡り、仕掛けが難しくなりました。
右四間飛車の話はここまでにして、大学時代の話に戻って、自分の弱さから潰してしまった悔しい発明品があります。
当時流行していた雀刺しの定跡で、▲3五歩の代わりに先に▲3九香(図)はどうかと思いつきました。
これなら△3六角の反撃がありません。

奨励会を退会して教室を開いていたМさんという方にこのアイデアを話すと、そんな手はないと酷評されました。
正直、定跡にない手だったので自信を持てず、お蔵入りにしました。
ところが後に丸山忠久プロが同じ▲3九香の筋を指して成功したのを知ったのです。
・・・色々な面で自分が弱かったことを悔やみました。
そんな経験があって、ある大会で出会った広島県の小学生が変わった手を思いついた時には否定せずに面白い手だねと褒めました。
丸顔のその少年は顔を赤くして喜んでいました。
名前を山﨑隆之といいました。
プロになって数々の新手法を生み出した彼の才能を、最初に目覚めさせたのは私と自惚れています。
<社会人になってから>
このように才能の乏しかった私ですが、諸先輩に鍛えられたおかげで、県代表になれました。
大学を卒業してしばらくは部室に顔を出すこともありましたが、社会人としての立場の違いもあって次第に疎遠になりました。
ところが『将棋倶楽部24』でばったりと後輩のМ君に出会い、彼を通じて懐かしい面々の消息を知ることができました。
ほとんどの人間が東京近辺に住んでおり、おかげで全国大会に行く楽しみが増えました。
時は流れ、今は雑念だらけの日々。将棋も弱くなりました。
最後に、山﨑プロの言葉を引用してこの駄文を締めさせてもらいます。
今の自分は弱い、そう思うと泣けてきたけど少し楽になった。
今から強くなればいいや、強くなれる時間は少ないと思うけど、将棋にふれる時間が増えれば余計な雑念も消えるだろう。
◆弱くても勝てます ~青志先生とへっぽこ高校球児の野望 ...を見て思いました。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「俺はな、丸3日取り組んで来た数学の問題が今まさに解けそうなとこだったんだよ!」
「暗記科目ならまだしもひらめき勝負の数学に3日はかけ過ぎじゃないか?」
そこでバッティングは理系で守備は文系という話になる。
バッティングはひらめきで、守備には積み重ねが必要だという事で。
「だけどな、一見文系は時間かかるように思うかもしれないけど、理系は
ひらめかなければ文系より時間を食うんだよ。
だから「ひらめき」を信じて理系を取るのか、それとも文系で堅実に行くのか
そこで問われるのは決断する勇気と時間に対するセンスだ。」
「だって誰もが一日24時間しかない中、時間があるという奴とないという奴の差は
このセンスの差に他ならない。
常に時間のない俺達にとって最も必要だったのはこのセンスだと思わないか?
試験期間中俺達に必要だったのは素振りや筋トレじゃない。
このセンスを磨くことだったんだよ。
だから どうか 立派な時間の使い手になってほしい。」
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青志監督はおそらく文系なのでしょう。口がウマすぎます。
さらにいえば、理系でないから失職した?
私は思います。守備こそ理系です。
アウトカウントなどの状況判断はもちろん、
相手の打順やフォームを観察し、
こちらのピッチャーの球種やコースによって瞬時に打球を想定し守備位置を判断していく。
これには「ひらめき」が大切なのです。
というか理系・文系となぜ区別するのか分からない。
理系科目だけでなく、文系科目もそれなりに時間かけてセンスを磨くことが必要です。
医学部でも語学の比重は大きいですし、経済学部などは数学が必修。
健全な人間として生きていく上で、どちらも必要でしょう。
救いの物語としての「新世紀エヴァンゲリオン」
知恵は悲しみだ
知恵の樹は生命の樹ではないのだ。
人はなぜ病むのだろう。
人生を歩むにはただ時を追えばいいのだけれど、
時にはそれがとても悲しくてつらいから
誰か一人でいい、自分の存在を認めてほしいと願う。
知恵の実を食べた不完全生物であるヒトは、必然的に病む。
それを完全生物であるシトの力を借りて生命の樹へと至ろうとするのが「人類補完計画」。
そこにしか救済はないのか?
「新世紀エヴァンゲリオン」は、オカルティックなミステリ要素が魅力的な救済の物語だ。
旧劇場版で人類補完を拒否したシンジ。
新劇場版では人類補完の先にユイが見つからず、碇ゲンドウは絶望するが、シンジの中にユイの魂を見出し救われる。
碇ゲンドウは作者である庵野秀明の分身だ。
(ちなみに庵野秀明の奥さんは、「働きマン」の安野モヨコ)
救済( salvation)の物語は、名作が多い。
萩尾望都の名作漫画「トーマの心臓」。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、ヘルマン・ヘッセの「荒野の狼」、ゲーテの諸作などがあり、ジブリの「風の谷のナウシカ」などもそうだ。
どれも心に残る美しい物語である。
「トーマの心臓」では善と悪に引き裂かれるユーリを、トーマは愛によって、エリックは生命力によって導く。
「カラマーゾフの兄弟」では「すべては許されている」と、アリョーシャはイワンにキスする。
ヘッセ「荒野の狼」では、知的アウトサイダーである主人公に少女ヘルミーネがダンスを、人生を味わうことを教える。
病むのは人間だけではない、人間の欲望によって地球が病んでしまった未来。
ナウシカは、荒廃した大地に生まれた「腐海」が浄化をもたらしていることを知り、オームの群れに身を捧げる。
ジブリ作品の中で最高傑作だが、「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「となりのトトロ」「風立ちぬ」なども同様の主題を扱った作品といっていい。
同様の設定で思い出すのは、トーマス・マンの「魔の山」。
「魔の山」では閉鎖されたサナトリウムの中、ロシア婦人ショーシャ夫人、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタなどに導かれ主人公は右往左往する。
ドイツ的な教養小説(Bildungsroman)は同時に救済の物語だ。
売れない作家が、芸術の神ミューズに招かれてワルプルギスの夜を体験して覚醒する。
手塚治虫の「ばるぼら」なんかも同類の作品か?
<行政改革>統計調査のムダ

国の統計調査は56種類ほどあるそうですが、ダブった調査が多い。これは、それぞれの省庁が個別に調査を行うためで、いわゆる「縦割り行政」の弊害ですね。
5年ごとに行われる国勢調査。これもムダの塊という気がします。
調査員から「適当な数字でいいですよ」といわれ、「適当な数字でいいのなら、なんでそんなウソ八百のシロモノに金とヒマをかけるんだ。」と言ったら、驚くべき回答が返ってきた。
「妙な数字を書かれても、書かなくて空白でも、どのみち住民税とかで調べて書き直しますから」
冗談まじりではあったが、調査員自身がムダな統計調査に辟易している様子も窺われた。
シジフォスの苦悩ですね。
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