本当に必要な貧困対策は何か?
もう誰も騙されない
ありがたい話だ。
政治家が、お金を18歳以下の国民に「差し上げ」てくれる。
ところでそのお金って誰のお金なの?
私たちが納めた税金?
政治家は、自分の金だと思っているの?
岸田首相の「分配」の正体ってこういうことなの?
コロナ禍で事業者は闇金から金を借りてその日を凌ぐしかない状況。
政府のお気楽な経済対策に憤っている。
それなら貧困者の負担が高いという逆進性を持つ消費税を最初から下げたほうが、よっぽど理にかなっている。
要らない仕事を増やすほど、そんなに公務員は暇なのか?
なぜ国民を18歳で分断するのか理解不能だが、
もう一つの問題はスピード。
国会の会期を見ると、補正予算成立させるのは年末ぎりぎり。
前回の給付のように振込口座を申請させて給付となると、年度内に給付が受けられるかどうか微妙だ。
合理的なやり方とはとても思えない。
SDGs江戸から明治へ
明治維新で失ったもの
誰でも分かるこんな愚かな政策がどうして生まれたのか、明治維新まで遡って考えてみる。
明治維新は、封建制を打破して近代日本を作り上げた他に類を見ない革命だったが、その反面、失ったものも大きかった。
江戸時代は、ゴミをほとんど生まないエコ社会。SDGsが発達していて、しかも行政官たる武士の割合は約7%と、今の規模とは考えられないほど小さな政府を実現していた。
「切捨て御免」などというと強権的なようだが、実は権力の濫用には切腹という厳しい掟が待っていた。
そして地域住民にある程度の自治権が託されていて、警察・消防を担っていた。
中国の制度を真似していた過去の日本だが、中央集権や「科挙」制度は受け入れなかった。
中国の官僚制度の無能・腐敗ぶりを知っていたから。
それが明治維新によって試験による官僚制度が始まり、今日まで受け継がれている。
日本人には当たり前と思われている官僚制度だが、アメリカでは官僚の上にポリティカル・アポインティという専門の政策集団がいて機能している。
日本の政府が無策で、政策能力がないのはこのためだ。
サムライはどこに消えてしまったのか?
アメリカの公務員制度
もちろんアメリカにも日本の官僚に当たる職業公務員はいますが、制度上の最大の違いは、政策決定の中枢を占めるポジションにポリティカル・アポインティが大量に配置されていることです。ホワイトハウスの職員に限らず、各省庁でも、高級管理職(ES)と呼ばれる長官や副長官、次官、局長などがそうですし、その下の上級管理職(SES)と呼ばれる審議官、課長などの一部、さらには一般職(GS)の一部にも配されます。人材の供給源は、弁護士、学者、シンクタンクの研究者など多様です。新たな政権が発足するときには、大量のポジションでいっせいに人が入れ替わるわけです。任用の作業は、大統領にとっては極めて重要な仕事であり、特に一期目にはかなりの時間、多大なコストを要する一大事業となります。
選挙の結果を受け、国民が選択した価値観を体現していくのがポリティカル・アポインティの役割であり、職業公務員はその指示に忠実に従い、補佐する役割が与えられています。
職業公務員は政権と進退を共にするわけではありませんが、一定のグレードに達すると、それ以上の昇進・昇級が見込めなくなってくるため、ポリティカル・アポインティに転じることを目指したり、退職して他の仕事を探し始めたりする人が多いようです。
中央集権だと監視の目が届かない
在籍一日だけの国会議員に支払われた文書通信費が一ヶ月分の100万円。
領収書もいらないお金、これこそ本当のバラマキ。
せめて10万円のバラマキの財源に回してほしい。
これを暴いた日本維新の会は、元々大阪の地方政党。
市町村や都道府県は有権者の目が光っているからこんな不公正が放置されることはない。
しかし、国には有権者の目が届きにくいからこんなお手盛りの無駄遣いが許される。
中央集権の弊害だ。
民主主義は、near is better だ。
七分積金が生んだもの
江戸SDGsの代表として「七分積金」という制度があり、景気悪化時の貧困救済に使われた。
明治になって七分積金は廃止。
残金で商法講習所が一橋邸跡地に設立された。
大河ドラマ「青天を衝け」をご覧の方ならご存知のように、渋沢栄一の尽力によってこれが一橋大学となる。
現在の矢野康治財務省事務次官は、その一橋大学の出身。
スピード感のない4兆円レベルの給付すら無駄遣いと批判している。
兵力の逐次投入を得意とする無能な指揮官が官僚トップ。
なぜ無駄遣いを放置するのか?
なぜ他国のように消費減税を実行しないのか?
有効な経済政策を実行できないのは、貧困者は生活保護を受ければいいとでも思っているのか?
政府には期待できない。
マイクロファイナンス
一方、民間の金融機関は、地方銀行を筆頭に自由な発想で頑張っている。
しかしBIS規制などに縛られ、活動には限界がある。
私が期待するのは「マイクロファイナンス」。
ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のような貧困者への融資機関だ。
なぜ今、マイクロファイナンスが必要かというと、色々問題はあったものの、それなりに金融の役割を担っていた「サラ金」がグレー金利問題で後退したからだ。
「愛はあるのか?」というCMは、いったい誰への問いかけか?
今一度、政府と民間が自分たちの役割を徹底的に問い質すべきだろう。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。