将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【minor戦法】筋違い角戦法

頂点で戦われた筋違い角

実力制初代名人・木村義雄 最後の切り札

筋違い角戦法は、先手の得を放棄したB級戦法と言われ、ソフトの評価値も低い。
しかし、かつてはプロの頂点の将棋で主役を演じたことがあった。


無双を誇った実力制初代名人、木村義雄。
名人位が世襲制から実力制に変わってから第1期~第5期まで連続で名人位を守った。
第6期の挑戦者は塚田正夫。
先勝した後の第2局、受け将棋で鳴らした木村義雄14世名人が、思い切った作戦に出た。
それが角換わりからの筋違い角戦法。
余裕か?あるいは通常の角換わりを嫌がったのか?
その将棋は勝利したものの、その後4連敗して名人位を失った。


翌年の名人戦は、若き大山康晴が塚田名人へ挑戦。
名高い高野山の戦いで、兄弟子升田幸三を破っての挑戦権獲得だった。
これを退けた塚田正夫だが、第8期名人戦では木村義雄の再戦を受ける。
一勝一敗で迎えた第3局、木村義雄の作戦は筋違い角からの向かい飛車だった。
この将棋に敗れた木村義雄だが、その後2連勝して名人位を奪還。
(この期は五番勝負)


翌年の第9期名人戦から、主催が毎日新聞から朝日新聞に変更。
大山康晴が挑戦者となった。
同じ「受け将棋」同士の戦いは、名人に一日の長があり、防衛を果たした。


第10期名人戦に最強の敵、升田幸三が挑戦者となり、「ゴマ塩頭にいつまでも名人になっておられては困るというのが私の本心です。」と挑発した。
負けるわけにはいかない木村義雄名人は、先手となった第1局、第3局に筋違い角を採用し、勝利した。
第4局、今度は升田が筋違い角を放ったが敗れた。
結局、筋違い角が主役の名人戦は、4勝2敗で木村名人が防衛した。


付け加えると、翌年の名人挑戦者は大山康晴。
木村義雄は名人位を失い、「よき後継者を得た」と相手を讃え、引退した。

王将戦で升田に香落ちに指し込まれ、衰えを悟った木村名人は、升田に奪われるくらいならと大山に名人を禅譲したのだ。

いぶし銀・桐山清澄の裏技

昭和61年前期の棋聖戦で米長棋聖に挑戦したのが豊島竜王の師匠、桐山清澄。
第二局でこの戦法を用い、タイトル奪取に繋がった。


これらはすべて角換わりからの変化技で「玄人型」と呼ばれる筋違い角。
一時的に流行したが、大山康晴が名人になり、時代が「角換わり」から「矢倉」に変わっていくにつれ斜陽戦法となった。






「玄人型」筋違い角

棒銀には右銀で対抗

初手からの指し手
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲2五歩 △3二金
▲7七角 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4五角 △5二金 ▲3四角 △3三銀 ▲5六角 △4二玉 
▲3八銀 △5四歩 ▲2七銀 △5四歩 ▲6六歩 △5三銀 
▲2六銀 △3一玉 ▲3五銀 △4四銀右 

棒銀に対して後手は、図のように右銀で受ける。

  1. ▲2四歩△同歩▲同銀△同銀▲同飛には△3五角がある。
  2. ▲4四同銀なら△同歩として▲3五銀には△4三金右で受け止める。飛車先交換には△3五角があるので▲5八金右と固めるが、△5五歩▲7八角△2二玉と収まる。

先手は、▲5八金などと5筋をケアする必要がある。
そうなると△4四銀が間に合い、▲1五銀には△3五銀で受かる。
かといって▲3六歩と突くと角で飛車を狙われる。


プロの実戦は、角を4七に引き、3七銀で角頭を守る変化が多い。


早繰り銀 対 腰掛け銀

棒銀がうまくいかなかったので、先手は早繰り銀を目指す。


初手からの指し手
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲2五歩 △3二金
▲7七角 △3四歩 ▲8八銀 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4五角 △5二金 ▲3四角 △3三銀 ▲5六角 △4二玉
▲3八銀 △6二銀 ▲3六歩 △6四歩 ▲3七銀 △6三銀
▲4六銀 △5四銀 ▲6六歩 △4四歩 ▲3七桂

ほぼ互角の形勢だが、後手の方針が難しい。
5六の角が威張っている。


相早繰り銀

腰掛け銀はうまくいかなかった。
実は、三手目角交換からの「素人型」筋違い角には有効。
後手が飛車先を8五まで突いているかいないのかの違いが大きい。
このあたりが面白いところだ。
後手は、今度は5筋を突いて相早繰り銀を目指す。

これも互角の形勢だが、後手の方針がわかりやすい。
先手としては、上記の桐山vs加藤のように4七角と右に使うほうが角が負担にならないようだ。
タイトル戦の大舞台でこの戦法を用いた桐山九段の研究の深さが窺われる。
AIの参戦で、さらにこの戦法の理解が深まることを期待している。



筋違い戦法との出会い

この戦法には個人的な思い入れがある。
中学生の頃、同級生が指していた将棋は、どちらも先手番を握ったら必ず三手目角交換して筋違い角を打っていた。
歩得という分かりやすい実利が魅力的だったのだろう。
見ていた初心者の私は、将棋とはそう指すものだと認識。
将棋の深さを知るのはずっと後のことだ。


負けず嫌いの私は、この不思議なゲームにのめり込んだ。
初めて買ってもらった入門書は、太期喬也著『将棋の初歩から初段まで』。
第三章の「奇襲戦法の勝ち方」では、原始中飛車や石田流とともに筋違い角戦法が紹介されていた。
後手が無策に飛車先の歩をついていった結果が、下図の局面。

図から▲7七金と歩を成らす手が印象的だった。


著者の太期喬也さんは、「奇襲戦法を解説するのは、あくまで対策を知っておくためのもので、指すものではない。」と戒めている。
その教えは今でも私の頭にあって、プロを目指す少年Ⅰ君から、筋違い角を用いて奨励会試験に挑みたいと相談された時は、強く反対した。
プロを目指すからには、変化球でなく、直球の速さで勝負してほしい。

※金園社は当時、実用書を多く出していて、上図は新装版。
私が持っていた旧装版は、表紙が分厚く豪華だった。
下の写真の木村義雄著『対局の鑑賞と解説』と一緒で、おそらく古書店で買ってもらったのたろう。
『対局の鑑賞と解説』は、天野宗歩vs伊藤宗印の遠見の角の名局を筆頭に、名人位を狙う阪田三吉が2手目△9四歩とした瞬間、著者が勝ちを確信したという「南禅寺の戦い」、塚田正夫に奪われた名人位を取り戻した著者自身の「皇居済寧館の戦い」や、次代を担う若手棋士として二上達也の将棋などが解説されていた。
両書とも記憶にしか残っていないが思い出深い。

もう一つ記憶に残っているのが、芹沢博文の『急戦攻撃法』という筋違い角の定跡書。
芹沢博文は、中原誠の兄弟子で、19歳で四段、24歳でA級昇進という天才。
多才な人物でテレビのクイズ番組のレギュラーも務め、麻雀も強かった。


彼は、角換わり筋違い角を「玄人型」、三手目角交換からの筋違い角を「素人型」と分類。
その中でも5六角から角を右に引いて向かい飛車にする順を「右型」、居飛車のまま角を左に引いて棒銀から攻める順を「左型」と分類、それぞれの狙いを易しく解説していた。


見直された「素人型」

昭和の将棋は手の損得を重視していたため、三手目角交換からの筋違い角を「素人型」と下に見ていた。
それをプロで指したのが引退棋士の武市三郎プロ。
元々定跡形でなく手将棋を好み、「武市は江戸時代の定跡書しか持っていない」と言われていた。
いわゆる「左型」から居飛車でなく四間飛車にするのが武市プロの工夫。
3四の歩がない居飛車陣に上から圧力をかけるのが勝ちパターンだった。


その後、振り飛車御三家の一人、鈴木大介プロも参戦。
武市流とは対称的に、穴熊に囲って左辺からの捌きを狙った。
レジェンド羽生善治相手にこの戦法をぶつけたが、△4五歩とクライを取ってから△2二飛と相振り模様にしたのが秀逸な構想で、3四の歩がないのを生かしている。
これが決定版となって、鈴木大介プロは、筋違い角を棄てた。


しかし、アマチュアでは筋違い角の使い手は生き残っている。
山内一馬さんは、相振り型に対して左玉にするという工夫を見せた。
まさに天才の発想ですね。




6手目△5二金右

一昔、筋違い角の有力な対策と言われていたのが6手目△5二金右。
▲3四角の時に受ける必要がないので、△6四歩(下図)と急場に手を回すことができるのが利点。

図は、わかりやすいように先後逆にしている。
△6四歩に▲6六歩は△6五歩があるので危険。
かといって▲8八銀は△6五歩と圧迫されるのが気になる変化。
△6五角と同様に筋違い角を打っても、手得なので互角以上の形勢だろう。
筋違い角を指す上で、相筋違い角は常に生じる変化。
通常は、振り飛車にして歩の価値の違いを主張するのだが、
ここで▲5六角△7六角▲7七銀としても△5四角で飛車を振ることができない。


▲8八銀では▲6八飛か▲8八飛、あるいは▲5六角とすれば無難だが、
実は、▲6六歩と相手の狙いに嵌まる手が一筋縄ではいかない。
△6五歩▲同歩△6六角に▲5八飛が意表の一手。
△9九角成と香得するが、▲8八銀△9八馬▲7七銀△8七馬▲7八金△9八馬に▲7九金(下図)なら△9九馬▲8八銀と千日手。
先手で千日手は損だが、筋違い角を打った時点で既に先手不利なので最善かもしれない。

勝ちに行くなら▲7九金でなく、▲8八金△9九馬▲9八馬と強引に馬を取りに行く。
△7七馬▲同桂△6六歩▲8七金で二枚替えの後手が有利だろうが、大駒を手にした先手もそれなりに戦える。


6手目△6二銀

前述の鈴木大介vs羽生善治の影響からか最近は、この形が多い。

ここで▲6七角は、△8四角が気になる。
6六の歩を間接的に▲6八飛と守るが、△6六角▲2三角成△同金▲6六飛△4四角に▲8八角と受け、飛車角交換になって先手が嫌な展開だ。
▲8八銀と受けて△6六角▲5八飛という変化は、駒の損得はないものの角の働きは後手が良い。


また、▲7八角にも△8四角が嫌らしい。
▲6八飛に△9五角の準王手飛車が狙い。
▲7五歩と犠打を放って王手飛車を避けることもできるが、角の働きに差があるので悪い。
むしろ「序盤は飛車より角」と王手飛車を甘受した方が良さそうだ。


▲7八角に△6四歩とし、▲8八銀に△6五歩(下図)とする。
取れば△6六角だが無理筋。

▲6八飛△6六歩に▲6四歩が手筋。
△6七角が煩わしいが▲7七銀△7八角成▲同金△4五角▲5八金で△2七角成には▲3六角、△7八角成には▲同飛△6七金▲7九飛で受かる。


後手としては、動かずに羽生対策を踏襲するのも有力。
先手にとって一番の脅威だ。

次の一手

第一問

筋違い角にとっては、相手が飛車先を突いてくる順はありがたい。
△8六歩を逆用する手段は?


第二問

今度は、後手の側に立って考える。
先手としては、向かい飛車から▲8六歩が絶好の仕掛けに見えた。
しかし、5六の角を△5五歩と追ってから△8六歩と手を戻したのが巧い対応。
図から後手必勝の手筋は?


第三問

後手番での筋違い角は、一手の差が大きく、飛車先逆襲がうまくいかない。
図の局面では△4四歩の一手が間に合っていないので先手必勝になる。


第四問

今度は△2二銀を省いた。
7六の角を5四に引き、次に△2二飛を狙ったのが図の局面。
角を引かずにすぐに△2二飛とぶつけるのは、交換して▲2六飛の角銀両取りがあった。


第一問解答

▲5六角


△8七歩成に▲8三歩を狙って▲5六角が正解。
△8四飛なら▲8六歩△同飛▲7七銀△8七飛成▲8八飛△8六歩▲2八飛で先手必勝。
最初に紹介した▲7八金~7七金(下図)より、問題図の▲6六歩+▲8八銀型の方が発展性に優れている。

このように筋違い角が大威張りする展開は、後手にとって面白くない。
頭の丸い角を銀で攻めるのが急務だった。


第二問解答

△8七歩 ▲同 飛 △9五角


これで銀が助からない。
▲8五歩と打っても△同飛で受からない。
先手は居玉を解消してから仕掛けるべきだった。


第三問解答

▲2三歩成 △2七歩 ▲4八飛 △2三銀 ▲5五角


最終手▲5五角が厳しい。
二歩になるので△2二歩とできない。


第四問解答

▲1五角


一見、▲2三飛成△2二飛▲5三竜で良さそうだが、△5二歩▲5四竜△2九飛成で後手必勝。
▲1五角が知らないと指せない一手。
△1四歩なら▲2一飛成、△6二玉なら▲2二歩で先手良し。


将棋は「何でもあり」

小さい子供は、月は、歩いている自分に付いてきてくれると感じる。
何人もの人に付いていくのに、どれだけ月が苦労しなければいけないのか、想像が及ばない。
想像力が欠如しているのは子供だけではない。
アニメやファンタジーに犯されてか、脳内の予定調和の世界に住んでいる人がいる。
自分の思うように世界はできていると、世界は自分の思い通りになると思い込んでいる。
だからクレーマーになるし、引きこもりになる。
この世は「何でもあり」、すべてを許さなくてはいけない。


角道を止めて振り飛車にしようと思ったら、いきなり角交換されて筋違い角。
相手は忖度してくれない。
将棋は、「何でもあり」だ。


近頃は「何でもあり」という言葉は悪口のように使われる。
「それじゃ何でもありじゃないですか。(筋が通らない)」と非難する。
しかし、「どうして何でもありじゃ、いけねぇんだ。」
世の中(将棋)は単純じゃない。多様性を孕んでいる。
相手を受け入れるアサーティブな頭の柔軟性が必要だ。


書道には「真・行・草」という三つの書体がある。
真書は正書・楷書であり正格を表し、草書は正格を逸脱した風雅な書体、行書はその中間にあって真書を少し楽に書くものを指す。
古典芸能の能楽では、修業による到達段階を次のように設定している。

  1. 基本を学び、師匠の言われた通りに真似る「真」の段階
  2. 基本を学び終え、型にはない芸を意識的に取り入れる「行」の段階
  3. すべての型、型ではない芸まで前意識として取り入れながらも、何も考えず型どおり踊れる「草」の段階

将棋を学ぶ過程でも、「真・行・草」の段階を踏んでいかなくてはならい。
同様の意味を持つ「守・破・離」という言葉もある。


大学将棋部に入った時、そこで八島俊さんという先輩に出会った。
灘高出身の医学部生で、信じられないような頭の良さの持ち主。
講義に出ず、ノートを借りて試験を受けても、借りた相手より好成績。
麻雀しながら骨のラテン語名を次々と覚えていくという神業を目の当たりにした。
いかにも怜悧な印象だったが、熱烈な阪神ファンという一面も持ち合わせていた。
その先輩の口癖は「将棋は自由」
既に「草」の段階に到達していたようだ。
そんな先輩だったが、不条理なことに、若くしてこの世を去った。


将棋は、『カラマーゾフの兄弟』の中のセリフのように「すべてが許される」。
徹頭徹尾、自己責任の世界だ。
サルトルは、ドストエフスキーの言葉を出発点として実存主義を導き、「人間は自由の刑に処せられている」と軽やかに宣言したが、将棋くらい人間力が試されるゲームはないと思う。