「一日一森下」なぜ将棋はこんなに面白いのか?
日本人の好きなのは、演歌と剣玉
当初は上図のような単純なものだったが、日本人が改良して「日月ボール」という名で現在の形のものを生み出し、今日の流行となった。
思うに日本人は、遊びの天才である。
将棋もそうだ。
一日一森下
森下さんが子どもの頃、先に覚えたのは「囲碁」だったが、後から覚えた「将棋」の方が、より面白いと感じた。
ちなみに羽生さんや森内さんが好きな「チェス」はあまり知らない。
この三つのゲームを比較すると、一手の重みでは
チェス>将棋>囲碁
しかし、チェスも囲碁も終盤になればいくほど指し手の可能性が少なくなるという「収束型」なのに対し、将棋は逆に終盤になればなるほど指し手の可能性が広がるという「拡散型」。
こんな面白いゲームはない。
日本文化を代表するものをただ一つ挙げよ、と言われたらどうするか?
「一つは困る」と言うだろう。日本文化にはいくつかの柱があり、少なくとも三つは必要だからだ。
しかし、その中の一つに「将棋」が入るのは間違いない。(中略)
それはこういうことである。
将棋の原型は、インドで生まれたチャトランガという?戦争ゲームである。
つまり、世界で初めて古代インド人が、駒を使ったボード盤上ゲーム遊戯としての「戦争」を発明し、それが西に伝わってチェスとなり、東に伝わって将棋となったということなのだ。
西洋においては、チェスという形で統一されたチャトランガ将棋は、東洋においては様々なバリエーションを生み出した。中国にも韓国にもタイにも、それぞれ独自の「将棋」がある。(ちなみに中国では「シャンチィ象棋」、韓国では「チャンギ将棋」、タイでは「マーク・ルック」という)。
つまり、こう言い換えてもいい。
古代インド人が考えた「チャトランガ」を、ゲームとして最も完成された形にするためのレースが、世界のあらゆる民族参加のもとに数世紀にわたって行われてきた。この偉大なるレースには。数え切れないほどの人々が民族の英知を傾けて加わったのである。
そして、その結果、西洋民族はその最終作品としてチェスを、中国民族は象棋を、そして日本民族は将棋を「提出」したということなのである。
だから、この「民族技能オリンピック」の場において、どれが優秀作品か、という形で、決着はつけられるのである。
では、具体的にどういう基準で優劣を決めるか?美人コンテストのように評価が分かれることはないのか?
それはない。実に明確な客観的な基準で、優劣はつけられるのである。
その基準とは、最も論理的なもの-数学である。(中略)
人工知能によるケームの研究の第一人者松原仁氏によると、チェスの場合の数は10の120乗だが、これが将棋だと10の220乗になる。乗数で100違うということは一体何倍の違いか。興味ある方は計算してみられるといい。まさに将棋は「ケタ違い」の複雑さなのである。(中略)
「駒の取り捨て」がルールであるチェスは、終盤になればなるほど局面が読みやすくなるので、引き分けに持ち込みやすいのである。
これに対して将棋は「名人戦」でも滅多に引き分けがない。
「引き分けに」に逃げ込みやすいゲームと、それが難しいケームと、どちらがゲームとして優秀か?これも言うまでもないことだろう。
井沢元彦著「逆説の日本史8中世混沌編」より勝手に抜粋
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。