将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【矢倉】土居矢倉

土居市太郎

明治20年11月20日に愛媛県松山市三津浜に生まれた土居市太郎は、12歳の頃、病気にかかり左脚が不自由となり、名医の治療を受けるために上京した。しかし、左脚が不治だとわかったため、将棋で身を立てる決心をし、関根金次郎に師事した。


「将棋の鬼」升田幸三が将棋を指すようになったきっかけは、土居市太郎名誉名人だった。
ある時、剣道好きだった升田少年が脚を悪くしてしまった。それで土居市太郎に倣って将棋で身を立てようと剣道を諦めた。脚は軽傷だった。
引退した升田九段に将棋連盟が名誉名人の称号を贈ろうとしたところ、名人になっていない土居市太郎と同じは嫌だとゴネて「実力制第四代名人」という称号を贈られた。
しかし、関根金次郎が十三世名人を襲位した時には実力は師を上回っており、早く実力名人制があれば土居市太郎が名人に就いていたであろう。
また、実力名人制がなければ第十四世名人に選ばれていたであろう。
そんな人物に対し、升田の態度は不遜であろう。

【土居矢倉】

日本将棋連盟の前身、東京将棋連盟会長・土居市太郎名誉名人が好んだ戦型としてその名がある。

通常の矢倉囲い・金矢倉は王が8八の深い位置にあり、金銀3枚が密着しているため敵からの攻めに強い。土居矢倉は金銀の連結が弱く、王も7八にあるため弱いが、攻めに対応して逃げを打てる懐の深さがある。

幻の△1三銀~藤井聡太棋聖vs木村一基王位

藤井棋聖の▲5八金に木村王位が△7三銀とした。
△8五歩が自然だが▲4六角を警戒したか?
今までの矢倉ならここから後手が△8四銀の棒銀から△9五歩と端攻めをする展開だが、土居矢倉に対して△9五歩▲同歩△同銀▲同香△同香と端を破ってもどこまで効果があるか疑問だ。
先手は銀桂の両方で攻めているから強力だが、後手の棒銀の攻めは右桂を活用することが難しい。
したがって△7三銀でなく、銀は5三と中央に使い、△7三角と引いて4手角の好形を狙うのも一策だった。
それでも場合よっては△6四銀と活用することもできる。


図の△7三銀に代えて△7三角の変化例
△7三角 ▲2九飛 △1四歩 ▲4六歩 △2二玉 ▲4七銀
△8五歩 ▲1六歩 △5三銀 ▲4八金 △4二銀右 ▲5七角
△6四歩 ▲5八金 △6二飛 ▲4八角 △8二飛 ▲4五歩
△同 歩 ▲同 桂 △4四銀 ▲2六角 △8四角 ▲1五歩
△同 歩 ▲4六銀 △7三桂 ▲3五歩 △6五歩 ▲同 歩
△同 桂 ▲6六銀 △6四歩 ▲1四歩 △同 香 ▲6八金寄
△3五歩 ▲同 銀 △4五銀 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 銀
△4四桂 ▲2三歩 △3一玉


△7三角と睨まれている中で、先手はどうやって攻撃陣を築くか?
後手と同じに4手角を狙いたいが、▲4八金ですぐ▲5七角とするのは△5五歩▲同歩△同角が気になる。
▲5六金△7三角▲6五金△8四飛▲7五歩△同歩▲7四歩△6四角と森下システムで定跡となった指し方だが、土居矢倉だと玉の薄さが目立つ。



△6四歩を見てから金の位置を戻し、▲4八角の形を築く。
そこから▲4五歩△同歩▲同桂△4四銀▲2六角と待望の4手角が完成。
後は端を突き捨ててから▲3五歩と仕掛ける。
先手の土居矢倉は4手角に強く、△6五歩に▲同歩と取って角が成る隙がない。
△6五同桂▲6六銀△6四歩くらいが相場だが、すかさず▲6八金寄と天野矢倉に固めてから攻める呼吸だ。
もちろん▲5八金のまま▲3四歩△同金(△3五歩)▲2四歩と攻めるのも有力だ。
後手は△4五銀と桂を食いちぎり、▲2四歩△同歩▲同銀には△4四桂と受け、△▲2三歩には△3一玉で耐える。
4四の桂が寄ったばかりの6八の金を狙った好防の手。
先手が攻め切るのも容易ではない。


「将棋情報局」より↓

相矢倉の将棋になった本局。藤井棋聖が令和の時代によみがえった昭和の布陣である、「土居矢倉」を採用し、仕掛けていきました。一方の木村王位は金銀4枚の守りで受ける方針。藤井棋聖の攻め、木村王位の受けという棋風通りの展開になりました。しかし、「攻められっぱなしだったので、つまらない展開にしてしまった」と局後振り返ったように、木村王位としては本意の展開ではなかったようです。


藤井棋聖は快調に攻めをつなげ、優位を拡大していきます。木村王位は攻めの手を全くと言っていいほど指せずに防戦一方ながら、決して崩れません。持ち駒の銀を自陣に打ち付け、不屈の粘りで抵抗します。さらに成駒を作って上部開拓をし、入玉を目指して頑張ります。


この粘りが藤井棋聖の指し手を狂わせました。普段はソフトが指しているのかと思わさせられるほど、正確無比な終盤力をほこる藤井棋聖ですが、この日は乱れます。「見落としがあり、厳しくなってしまった」と藤井棋聖。ABEMAの中継で表示される評価値は逆転し、木村王位わずかに良くなりました。


ミスによって藤井棋聖の攻めはみるみる細くなり、木村王位の入玉は目前となりました。藤井棋聖は自陣の金も活用し、なんとか木村玉に詰めろをかけます。この詰めろさえしのげば抜け出せる、そんな局面が訪れます。木村王位は馬取りに銀を打って詰めろを受ける△3三銀を選択。当然に見えたこの手がなんと敗着となってしまいました。


馬取りで先手を取って受けられる、当たり前の指し手に思えるこの手がなぜ駄目だったのか。それは数手後に明らかになります。藤井棋聖は王手で馬を逃がした後、働きの弱かった2一の銀を▲3二銀成~▲3三成銀と活用。▲3三成銀で先ほど木村王位が打った銀を入手することで、攻め駒を増やせたのです。手にした銀が木村玉を寄せるのに活躍して勝負あり。最後は働きの弱かった自陣の飛車を切る、見事な順で藤井棋聖が木村玉を寄せ切りました。


では、木村王位はどうすればよかったのか。ソフトが△3三銀の代わりに示したのが△1三銀でした。2四の地点を受けるのは△3三銀と同じ。違いは目標になりにくいという点ですが、見えにくい一手です。事実、「千駄ヶ谷の受け師」の異名を持つ木村王位をもってしても発見することができませんでした。


本局の△1三銀に限らず、ソフトが人間には指しにくい手を指摘することはよくあります。「人間には指せない一手」などと評され、人間対人間の勝負にはあまり影響を及ぼさないものです。△1三銀もそのたぐいの手だろうなと筆者は思っていました。感想戦の模様を見るまでは。


ところがなんと、藤井棋聖は感想戦で△1三銀を指摘したのです。藤井棋聖には見えていた一手でした。木村王位も指摘されると、感心し納得した様子。恐ろしい18歳だとつくづく実感します。



金矢倉(▲6七金右)対 土居矢倉(△4三金左)



相土居矢倉

お互いに土居矢倉に組むとどうなるか?
井田三段vs古賀三段(新人王戦)という後にプロとなった二人の将棋が参考になる。 

ここで後手の古賀三段は端歩を手抜きして△6五歩と先攻した。

もし△1四歩と受ければ、▲4五歩△同歩▲3五歩と逆に攻められるのを嫌った。

しかし、実際にそうなったとしても先手が攻め切れるかどうかは微妙だ。