将棋備忘録

殴り書きの備忘録なので、読みづらい点はどうかご容赦を!

【矢倉】現代将棋は進歩したのか?

(2020年4月5日)
日経新聞朝刊を手に取って王座戦の観戦記を見る。
佐藤康光九段対屋敷伸之九段の将棋は、懐かしい戦型だった。
一時は「終わった」と言われた「矢倉戦法」を先手が採用し、引退した加藤一二三九段(愛称ひふみん)が得意とた「棒銀戦法」で後手が対抗。
なぜ矢倉が復活したのか、観戦記に詳しい考察があり、面白かった。
ぜひ皆さんも日経新聞を買って読んでほしい。
図の局面、屋敷九段の指し手に驚いた。

ここから狭い所へ△7三角と引いたのだ。
△4二角と引き、次に△7三桂で6五の歩を目標にするのが一般的な感覚だろう。
多分先手の佐藤康光九段も意外だっただろうが、観戦記ではいい手と評価されていて、「▲6五歩がどうだったか?」と書かれていた。
▲6六銀や▲6六金と位を確保する手には、△9五歩▲同歩△同銀と端を突破して後手が面白い。
実戦は、▲2五桂△2四銀▲2九飛として好機の▲6六角を狙った。
かなり昔のタイトル戦で、同様の将棋から、下図のように▲4五歩と攻め、△3七角成を許して勝った将棋がある。



図から△3三桂が意外な好手。
▲7九玉に△2五桂▲同歩△3三銀と、敢えてセオリーを無視して守りの桂を攻めの桂と交換する。
この桂交換は先手が損をした。
感覚の古い私は、▲1六桂や▲2四桂の狙いがあるので先手が得しているのでは?と思ったが、△5三桂からの反撃がそれを上回る厳しさがあるのか、それとも先手の角の働きが不満なのか、明日の観戦記が楽しみだ。


△7三角には▲5八玉から右玉にするのが有力だった。
昔、「マキ割り流」と呼ばれた佐藤大五郎先生(故人)が1970年代にそんな手を指して勝っていたのを思い出す。
一昔前の棋士の優れた序盤感覚に驚く。



(2020年4月6日)
観戦記によると、対戦相手の屋敷九段も▲1六桂を予想していたようだから、先の私の感想もあながち的外れではなかったようだ。
問題の次の一手は▲4八角の辛抱。85分の長考の末の決断だ。
▲1六桂は△4二金引きで自信なかったようだ。
「次に△5三桂と打たれては局面のバランスが崩れます。この局面はすでに失敗しているので、どう勝負に持っていくかという手です。」(佐藤)
屋敷九段は△9五歩から棒銀を捌き、佐藤九段は桂を2六へ据えた。
桂を温存したのは、この桂に期待したからか。
△9八香成に▲1四歩△同歩▲同香と反撃したが、△1三歩を見落としていて▲同香成△同玉と香損。
しかし▲3五歩と味付けした局面は、形勢がそんなに離れていなかった。
形勢を悪化させたのは、次の▲1九飛の王手。
△2二玉▲1二歩△1三香で飛車を追い、後手有利がはっきりした。
代えて▲3四歩△同銀▲1四歩△2二玉▲3四桂△同金▲6六角として次の▲4五銀を狙えば、まだ難しかった。
しかし佐藤はまだ勝負を諦めていない。
▲3四歩から銀桂交換して鬼手を放った。

この銀を取ると▲同角成△8一飛▲6六馬で次に▲2六桂を狙われてまずい。
佐藤康光九段は、この銀を打つ時に「東海の鬼」と評された花村元司九段の鬼手△1七銀を思い出したという。
この将棋は、花村67才の絶局。2か月後に命を失った。
「昭和の将棋」が令和の時代まで命脈を保っている。
感動した。



この銀打からの勝負手に惑わされたか、屋敷九段に疑問手が出る。
▲6一角に対する△4三桂では△4三角が良かった。
交換して再度の▲6一角には△3三飛と受ける。
そして▲5三成銀が間に合って逆転した。
△9二飛では△5一香と防がなけれはならなかった。
会長職の重責にもかかわらず、ワザに一段と磨きが掛かった佐藤将棋。
棋士の生き方の模範だ。